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rinsura_comのブログです

「腐向け過ぎて萎える」とは何か

「ユーリ!!!オンアイス」について考えている。

今期の覇権と呼んでも差し支えない盛り上がりを見せる今作は、男子フィギュアスケートを題材とし、男性の肉体を徹底的に性的に描いたアニメーションだ。スランプに陥ったフィギュアスケーターが憧れのトップスケーターの導きでグランプリファイナルを目指す、という少年漫画的な性格のストーリーを持つ一方で、登場する男性キャラクターは「感情移入の対象」ではなく「性的消費の対象」として描写されているようにうかがえる。

少年漫画的な筋書きなど、エロ以外の「物語」を備えながら本質的には「性的消費」(特にBL的消費、そして夢ジャンルとしての消費など、いわゆる「女性向け」市場を想定した消費)を待っている作品を、仮に「擬態作品」と呼んでおこう。(擬態の度合いには作品によってばらつきがあり、もちろん判断の微妙な作品もある。)「ユーリ!!!オンアイス」はまさにこれだった。もちろんスポーツを通じて高みへ登る挑戦をする主人公の姿を見て励まされる人がいる、というのも事実であろう。しかしそれと同時に、勇利とヴィクトルが抱き合い、「俺を誘惑しろ」「僕だけを見ていて」と囁きあい、氷の上で恍惚の表情を浮かべるというあからさまに性的なボーイズラブ・アピールは、明らかに画面の向こうで興奮するオーディエンスの姿を想定した上での描写だ。すなわち、そもそも「腐向け」的消費がなされるために計算されているのである。

 

腐女子腐女子向けに作られたものを喜べない」という言説は広く知られている。主語を「腐女子」とすると大きすぎるが、一部のBL愛好者がBL文脈での性的消費を想定した描写に対して抵抗感を持っているのは確かだ。現在ツイッターで「ユーリ 萎える」などで検索すると、「公式が狙いすぎていて萎える」などの苦言が多く見受けられる。(その一方で「公式 狙いすぎ」で検索すると、あからさまな腐向け描写を歓迎するつぶやきが多く見られるので、あくまでこれは「一部」のクラスタの感性なのだ)

それはなぜなのか? なぜBL消費者の一部は「ターゲットとして想定される」と「萎える」のだろうか?

 

BL消費者の大部分を占める存在=腐女子の中には、自分が存在しない世界を希求している人がいる。

もともと、なぜ男同士の恋愛を女性が消費するのか、という問題があるが、無限にある理由のうちの一つとして、「自分が存在しえない世界でなければ安心して恋愛/エロコンテンツを楽しめない」というものがある。(私はそれにあてはまる腐女子であり、逆に言うと、自分と恋愛/エロコンテンツの直結さえなければ、かなり奔放に欲望をさらけ出せると自覚している。)

女性とエロコンテンツとの距離感には数多くの社会的な問題があると言っていいだろう。私は専門家ではないので細かい論証はできないが、男性と比べると女性がエロについて語ることは圧倒的に「許されていない」。

BLはそれを救う存在だ。あの性的ファンタジーの文脈の中では、男と男が愛し合ってセックスをするとき、私たちはどこにもいない。全ては男と男のための記号に成り下がる。BL漫画というジャンルにおいては、多くの場合、読者の身体と直結させることで感情移入できるよう「設計された」キャラクターが主人公になることはないのである。*1 

 

すなわち、BLを読むとき自らの視点をどこに設定するかは、読者の裁量に委ねられているのだ。自己を自己の身体から際限なく拡張して攻めあるいは受けに感情移入するという人もいるだろうし、背景に書き込まれたモブや二人の男が寄りかかる壁に感情移入する人もいるし、神の視点で完全に人界から己をシャットアウトする人もいる。

BL作品に没入するBL消費者は、「自分」を好きな濃度で希釈できるのだ。

 

話を戻してみよう。

結論から言うと、「腐向け」を「狙ってる」ことが「萎え」につながる傾向を持つBL消費者にとっては、明らかな擬態作品は「自分のいない世界」にならないのだ。

つまり、「BL消費者からの目線」を想定している限り、作品の中にBL消費者からの目線が組み込まれていることになる。その時点で、「自分」=「BL消費者」は作品世界の中にメタ的に存在していることになり、「自分のいない世界」の完璧な成立が不可能になるのである。

(完全に関係はありませんが、「観測されると振る舞いを変える」という意味では一部の腐女子に近いものを感じるので、量子力学の記事を置いておきます)

 

作品に想定されることを避ける人がいる一方で、もちろん男性がエロティックに描かれることを性的消費が許されているサインのように思う人がいるのも確かだろうし、考え方は千差万別だ。つまり、ユーリオンアイスのような性的消費への意識が非常に強い作品においては、人によっては作品世界へのアプローチを行うことが非常に難しい場合があるのである。「自分のいる世界」に対して二次創作の必要性を感じなかったり(私はここに入る)、あるいは「萎える」という言葉で作品世界に組み込まれることから抵抗したりするのは、そういう理由なのではないだろうか。

 

これは私が私自身について考えて考察した結果なので、客観性に欠くだろう。女性と恋愛/エロコンテンツの距離感や意図的な複雑化は非常に興味深いものだと思う。そういうことにも目を向けながら、ひとまずこれからのユーリオンアイスを楽しみにしていきたい。

 

 

*1:アンソロジー「女子BL」など、それを逆手に取った作品は少なからず存在する

秋のインタビュー祭り〜音楽と人増刊「LiNK.」11/9発売〜

 秋ですね。みなさんいかがお過ごしでしょうか? 秋といえば秋の夜長ですが、日が暮れてからの長い時間をどう使っていいやらお困りではないでしょうか?

 

そういう時はやっぱりインタビューを読むといいと思うんですね。ウェブでも雑誌でも、会ったことのない人の話を聞くのは興味深いことですよね。

 

というわけで、ついに雑誌デビューします。

 これ!

11月9日(水)発売の雑誌「LiNK.」にて!!!

文豪ストレイドッグス」のインタビューをさせていただいています!!!

 

 

 「音楽と人」の増刊号として発刊される、アニメと音楽を結ぶ素敵な雑誌です。表紙はうたプリで、他にもおそ松さんやキンプリなど人気作の記事が載っているようです! 大きなうたプリのポスターもついているようです。詳しくはリンク先で!

 私がお話を伺ったのは主演・中島敦役の上村祐翔さん&キャラソンクリエイターのみなさま。演技への情熱から音楽との向き合い方、キャラの解釈までぎっしりな内容になっているのでぜひチェックしていただければと思います!

 

 初めて雑誌の仕事をさせていただきまして、非常に有意義な体験をしたと思います。ライターを始めてから1年半ぐらい経つのですが、「雑誌で書かせていただく」のは一つの目標であり夢だったので、とても感慨深いです。

 

とにかくぜひチェックしてください。

 

そして秋のインタビュー仕事として、こちらもやらせていただきました!

 先月の記事になりますが、ラッパー・COMA-CHIさんのインタビューです!

 個人的にもとても「救われる」パンチラインが多く出てきて、仕事関係なくとても励みになりました。社会が作り上げた枷をぶち壊していく、COMA-CHIさんのエネルギー溢れるメッセージをぜひ読んでいただけたらと思います。

COMA-CHIさんの10周年記念アルバム、全部最高なんですけど、特に「衝動」が超絶いいのでぜひ聴いてください……「誰がなんと言えど君は君 誰にも奪えない生きる意味」ってもう、今一番必要とされてる言葉じゃないかなと思います……。

 

 

 つい先日21歳になり(お祝いしていただいたみなさま、ありがとうございました!)、お仕事もいろいろやらせていただいて、この10月は盛りだくさんだったな〜と思い返しています。

 やらないといけないこととやりたいことのバランスをとりつつ残りの2016年も頑張りたいです。

 

 LiNK.は9日発売ですからね! よろしくね!!!!

 

 

 

オールタイム・BL漫画・ベスト10選

個人的な「好きなBL漫画」10作品のレビューです。

※順不同

 

・木村ヒデサト「鬼は笑うか」

鬼は笑うか (マーブルコミックス)

鬼は笑うか (マーブルコミックス)

 

木村ヒデサト先生がいかに天才的なBL漫画家か分かる一冊。

商業BL界に君臨する金字塔として、中村明日美子「同級生」シリーズがあるが、「鬼は笑うか」はある種「同級生」のアンチテーゼと言えるかもしれない。

「まじめに、ゆっくり、恋をしよう。」というテーマのもと、「同級生」では初々しい少年たちの純情な恋愛が描かれ、二人は「20歳になったら結婚してください」という約束まで取り付ける。18歳で一生一緒にいたい相手を見つけ出して幸せになる、それは確かに恋愛の形としてたいへん素晴らしくて古典的に人気のあるストーリーだが(同級生のすごいところはそれを丁寧に丁寧に描ききったこと)、同時にそれは極めてBLらしい幻想だろう。同性愛ファンタジーであるBLというジャンルは今まで何もかもを可能にしてきたが、それはもちろん現実とは異なっている。

「鬼は笑うか」は、両思いになった少年たちが、自分たちの愛の保証のできなさに泣く物語である。

優しい両親のもとで育った主人公・星谷が、父親に暴行・ネグレクトされ、体育教師からも性暴力を受けているクラスメイト・柏瀬に寄り添おうとし、二人が懸命に気持ちを通わせていく物語が、淡々としたリアルな描写で描かれていく。コミュニケーションは通じたり通じなかったりする。二人はそれでも手を握り合う。

「このままだと僕たち一緒にいられる理由がなくなっちゃうんだよ……?」「この先柏瀬は誰を好きになって僕は誰を好きになるの」「3年前出会ったばかりの僕たちなのに」「まだ 好きでいたいのに……!!」

最終話で自分たちの関係の不安定さに彼らは涙を流し、それでも日常は流れていく。悲しいことはなくならないけれど、日常は更新されていって、その中には楽しくて少しずつ土台になっていくものもあるのだ、という人生のあっさりした手触りを見せてくれる最高のBL作品である。

 

・木村ヒデサト「マリアボーイ」

マリアボーイ (マーブルコミックス)

マリアボーイ (マーブルコミックス)

 

 木村ヒデサト作品からもう一冊。木村先生は「子供」と「大人」の世界の差異をさりげなく描くのがとても上手いと思う。

表紙を飾る傷だらけの男が、今回の主人公・ヨシキだ。血の繋がらない弟のなおとを自分の息子としか思えなくなっているヨシキは家族との距離の取り方が分からなくなり、家を飛び出して体を売って暮らしてきた。水商売から足を洗って美容師として働く今でも、親には会わずじまいだし弟への執着は治らない。体の関係や金以外で、相手を大事にする方法がわからないのだ。なおととその恋人・シュウは、なんとかヨシキに家族との関係をちゃんと構築してもらうべく奔走する。

今作は、傷だらけの「マリアボーイ」ヨシキが、弟たちに背中を押されて少しずつ幸せに近づいていく過程を追った回復の物語である。どれだけ人生の中で間違いを犯して何かが歪んでも、人から受けた傷は人から得たもので癒せるのだ。暴力描写とトラウマの様相が濃いので苦手な人にとってはややキツイかもしれないが、後半で描かれるヨシキと素性の分からない年下の男・玲太との恋愛模様を読めば必ず温かい気持ちになると思うので、そこは耐えて欲しい。

なお、こちらの作品はカバー裏に重要な設定がびっしり書き込まれているので、単行本での購入を強く勧める。

 

・のばらあいこ「寄越す犬、めくる夜」

寄越す犬、めくる夜 1 (Feelコミックス オンブルー)

寄越す犬、めくる夜 1 (Feelコミックス オンブルー)

 

 BLの中では「ヤクザBL」というものが1ジャンルとして隆盛しているということは周知の通りである。そこに「寄越す犬、めくる夜」が革命を起こしたのは、「W受け」という凶悪なスパイスを挟み込んだからだ。

トーリーは非常に重い。裏カジノでディーラーとして働く主人公・新谷(攻め)が同僚のチンピラディーラー・菊池(受けその1)が起こした横領事件に巻き込まれ、菊池の借金返済に協力することになってしまう。菊池が金の工面のために体を売り始める中、新谷はカジノ店の副店長でありヤクザの愛人でもある須藤(受けその2)に「援助交際」を持ちかけられる……というあらすじだけで胃もたれしかねない。ここまで読んで「新谷がかわいそう」と思われる方もいるかもしれないが、これが天下ののばらあいこ作品であることを忘れてはいけない。

新谷は「かわいそうな人に勃つ」性癖の持ち主なのだ。

この一言だけで、罪と罰で回転する悪夢の三角関係がさらにどす黒い様相を見せ始める。「生まれて初めて優しくしてもらった」と不安定な精神を抱えて新谷に惚れ込む菊池、クスリ漬けの生活を送り、気まぐれに新谷を翻弄しながらも自分の暗い過去を匂わせる須藤。三人を繋ぐのは金と性欲だ。逃げ場はない。

「いるよね、ああいう何が普通なのかわからん子ってさあ……」

世間から後ろ指を指されて生きるはぐれ者たちの夜が淡々と描かれるノワールBLの傑作。現在2巻まで発刊されているが、どのような着地点を見るのか今から非常に楽しみである。

 

・のばらあいこ「秋山くん」「秋山くん2」(既刊2巻)

新装版 秋山くん (マーブルコミックス)

新装版 秋山くん (マーブルコミックス)

 

 

秋山くん2 (マーブルコミックス)

秋山くん2 (マーブルコミックス)

 

のばらあいこ作品からもう一作。のばら先生の作品は作者買いしております。 

すごくシンプルでいいタイトルだと思う。秋山くん(受け)の彼氏は柴くん(攻め)と言うのだが、「秋山くんと柴くん」ではなくて、「秋山くん」なのだ。つまり、柴くんが秋山くんのことを、大事に大事にしようとする物語なのである。

秋山くんはダウナーなヤンキーで、親が帰ってこない家や喫茶店や気まぐれに来た学校の隅でぼーっとしているきれいな男の子だ。柴くんはたまたまカツアゲされていたところを秋山くんに助けてもらい、それ以来秋山くんにずっと片思いしている。ひょんなことから柴くんの思いは通じ、体から始まった二人がウブなコミュニケーションを繰り返す、極めてラブリーなストーリーがたまらない。

BLにおいて、自分と性別は同じなのに圧倒的に「違う」他者をどう受け入れるかというテーマに関してはいつも多彩な作品が触れてきた。それを語らずにあっさりと乗り越えさせてしまうのがこの作品のすごいところかもしれない。

「秋山くん」の中で起こる、クールな不良とストーカー気質のナードくんがそっと手を握るような恋愛は、誰の目に見てもはちゃめちゃにかわいいに違いない。

 

・はらだ「よるとあさの歌」

よるとあさの歌 (バンブーコミックス Qpaコレクション)

よるとあさの歌 (バンブーコミックス Qpaコレクション)

 

 多作なはらだ先生の作品の中で一番好きな作品。

ベースが抜けた主人公・朝一(攻め)のバンドに、朝一への片思いを募らせて途中加入してきたヨル(受け)。女好きな朝一はヨルの気持ちを徹底的に否定するが、歌うヨルの姿を見てからうっかり興奮、体の関係を持つようになり……というバンドマンもののストーリー。

大筋としてはBLではおなじみの「大っ嫌いなあいつがだんだん気になりだして、最終的にカップルになる」というものなのだが、はらだ作品は常に予想の一段上を行くので安心してほしい。それがBL界の革命、「砂利ローション」だ。

終盤で突如乱入するヤクザ、そしてヤクザによってレイプされてしまう朝一、彼の尿道に挿入される砂利入りのローション!!という怒涛の暴力を叩き込んでくるくせに最後はきれいにまとめきる、読み終わったらスタンディングオベーションしたくなる名作である。ヨルの一途さ、文句無しのエロシーン、全てひっくるめて尋常でない満足感をもたらしてくれる一冊。

 

・丹下道「恋するインテリジェンス」(既刊3巻)

恋するインテリジェンス (バーズコミックス リンクスコレクション)
 

 究極のアホエロといえば私の中ではこれ一択である。

連続性のある短編オムニバス形式でストーリーが展開されていくタイプの作品で、登場するカップルはほとんど全員が官僚だ。とにかく設定が濃く、基本的にキャラクターは皆異常な金持ちである。受けと自宅で事に及ぼうとする攻めが自然に「寒くない? 暖炉強くする?」と言い、受けが視界からいなくなると「どこにいるの? プールかな?」と言いながら探す。お前は宮殿に住んでいるのか??????

しかし恋するインテリジェンスの「ヤバさ」はここだけではない。「潜入捜査の訓練のために合法的に常にエロいことができるバディ制度」「男でも母乳が出せるようになる薬」「若い美形官僚を家に招いてエロいことをしようとしてくる大物政治家」「それを助けるために大物政治家の邸宅の壁を高級車で突き破って出て来る攻め」など、正直笑いが止まらないレベルのBL設定が2秒おきに飛び出してくる。例えるなら叶姉妹だらけの水泳大会というか、ゴージャスなんだけどゴージャスすぎて笑うしそれ使ってそんなことすんの? え? みたいなシンプルな驚きに濃厚なエロシーンが相まって、う〜〜ん、要するに最高!!!!

 

・トウテムポール「東京心中」シリーズ(既刊6巻)

東京心中 上 (EDGE COMIX)

東京心中 上 (EDGE COMIX)

 

 起承転結で盛り上げる波乱万丈ドラマでは全くない。「東京心中」は、ただ二人の男と彼らの周辺の人々の生活を描くお仕事漫画であり、同時に明確にBLなのだ。 

やりたいことが見つからない主人公の宮坂(攻め)は、「なんとなく」でテレビ番組制作会社のADになるが、そこで美形のプロデューサー・矢野さん(受け)に出会い、「矢野さんの役に立ちたい」という一心で仕事に邁進していく。人間より映画が好きで徹底的にマイペースな矢野さんと、一途で家事と気配りが大好きな宮坂のカップルがひたすらテレビ番組制作という激務に追われる生活を描いたコメディー作品であり、BLが苦手な人でも読み易い。

 この漫画の稀有なところは、キャラクターの生活感覚と記憶がとても生々しい点だと思う。矢野さんが語る子供時代の飼い犬「けん」の思い出や、岩手出身の宮坂が生前分与でもらった家を地元の友人に土地ごと貸している話など、本筋には特に関係がないのに出てくるエピソードが一つ一つ手触りと質感を持っていて、人物造形を丁寧に構成しているのだ。何度読んでも友達の話を聞いているような近さがある。トウテムポール先生は本当に天才だ……。

 

・ヨネダコウ「囀る鳥は羽ばたかない」(既刊3巻)

囀る鳥は羽ばたかない 1 (H&C Comics  ihr HertZシリーズ 129)

囀る鳥は羽ばたかない 1 (H&C Comics ihr HertZシリーズ 129)

 

 悲しいことを悲しいこととして描くのは平凡だ。しかし悲しいことに直面して誰にも救いを求められない当事者にとって、一番簡単な自己防衛は「これは別に悲しいことじゃなかった」と考えることである。

「囀る鳥は羽ばたかない」は、淫乱ビッチの若頭・矢代と、とあるトラウマからEDになった矢代の手下・百目鬼を軸に展開されるヤクザものBLだ。BL要素を抜きにしたヤクザ漫画としても面白いと評価される濃密なストーリーと同時に、矢代という男の寂しさと残酷さが少しずつ見えていく。

とにかく必読なのは、1巻に収録された短編「漂えど沈まず、されど鳴きもせず」だろう。(公式ツイッターで公開されているので要チェック!)矢代がヤクザになるまでを描いた前日譚とでも言うべき番外編だが、ここで徹底的に描かれる矢代の苦悩と歪みはBL云々関係なく胸に刺さるはずだ。些細な幸福も握みにに行けなかった一人の男の歴史が切ない。まだ物語は続いており、こちらもどのような結末が待っているのか今から恐ろしくもあり楽しみでもある。

 

・SHOOWA「イベリコ豚と恋と椿。」「イベリコ豚と恋の奴隷。」シリーズ(既刊3巻)

イベリコ豚と恋と椿。 (GUSH COMICS)

イベリコ豚と恋と椿。 (GUSH COMICS)

 

 

イベリコ豚と恋の奴隷。 (GUSH COMICS)

イベリコ豚と恋の奴隷。 (GUSH COMICS)

 

 

イベリコ豚と恋の奴隷。 (2) (GUSH COMICS)

イベリコ豚と恋の奴隷。 (2) (GUSH COMICS)

 

 日々ゴミ拾いに精を出すヤンキー環境美化集団・イベリコ豚のメンバーの恋愛模様を描いた超人気シリーズ。一応主人公はイベリコことイベリコ豚のリーダー・入江×跳ねっ返りの他校生・椿のカップリングなのだが、シリーズ第1巻「イベリコ豚と恋と椿。」の半分と続刊シリーズ「〜と恋の奴隷。」全編は、無口で不器用な二年生・源路×トラウマを持つ組織のNo.2・吉宗のカップルが描かれる。この二人がもう、最高。

私はとにかく「受け入れようとする年下攻め」が「経験豊富で暗い過去のある年上受け」に翻弄される話が大好きなのだが、まさにこの作品はドンピシャストライクだった。

 

(以下はネタバレを含むので、筋書きを知りたくない人は読まないでください)

 目を見張るのは「恋と椿。」収録の吉宗の回想シーンである。雀荘で出会った悪い男にひっかかり、肉体関係を持ち、言われるがままに覚せい剤のパッキングを手伝い、果てには無理やり3Pするところを映像に撮られてしまうという、堕落と破滅の道を突っ走る15歳の頃の吉宗がめちゃくちゃに痛々しい。(雀荘でヤクザと出会ってズブズブの関係になる回想が読みたい人は前述の「囀る鳥は羽ばたかない」も読もう)

 彼の不安定で寄る辺のない刹那的な生活は、 刺青の彫り師から言われた「君はこっち側の人間じゃない ちゃんと日の当たるところに戻りな」という一言でようやく終わりを迎えた。心に残ったトラウマと閉ざされたいくつかの感覚は、源路のまっすぐな愛で少しずつ治癒していく。絶対に幸せになってくれ! あと20巻ぐらい続いてくれ! と叫びたくなることは間違いない。

 

・阿仁谷ユイジ「ミスターコンビニエンス」

ミスターコンビニエンス (ビーボーイコミックスデラックス)

ミスターコンビニエンス (ビーボーイコミックスデラックス)

 

 今年の夏にリニューアル版が発売された作品で、元は2008年に刊行されている。

 最近あまり流行の兆しを見ない(私が知らないだけでどこかで隆盛しているのかもしれないが)「方言もの」で、九州の田舎のコンビニを舞台に博多弁で繰り広げられる恋愛劇である。主人公は地位も顔も彼女も「そこそこ」のコンビニ店長・北村(31歳、攻め)。このままごく普通の安定した生活が続くのかと思っていたが、ゲイのアルバイト・南原(21歳、受け)に告白されたことで日常が少しずつ変化していく。

 阿仁谷ユイジ先生の絵は「肉」というものと徹底的に相性がいい。人間の体の曲線、二の腕や太ももや指先や耳殻、唇やそこから覗く舌の、優雅にふくらんで流れるラインがとにかく美しくてエロい。31歳の凡庸な男の変わりばえのしない日々に、突然現れた21歳の美青年の美しい肉体が鮮明に映るときの戸惑いと高ぶりは、阿仁谷先生の筆でなくては伝わりきらないだろう。最後に挿入される物語に絡んでくる女の子のモノローグも、後味に心地よくほろ苦いものを添えている。

 

 

こうして振り返ると、BL一冊一冊に思い出がある。15歳の頃に地元の本屋(今はもうない)でドキドキしながら買ったもの、友達からクリスマスにもらったものなど、私の人生の中にはいつもBLがあった。このラインアップはあくまで20歳現在のもので、きっとすぐにまた更新されていくだろう。これから先も末長くBLと暮らしていくのだという確信とともに、私はまた本屋で名作を掘り続ける。

映画「サウダーヂ」感想

※ラスト含めネタバレ満載ですのでご注意ください。

 

 小学生の頃、ルイス・サッカーの「穴」という小説が大好きだった。無実の罪でグリーン・レイク・キャンプという少年院に送られた主人公がえんえんと懲罰のために穴を掘り続ける話だ。死ぬほど好きだったはずなのにあとの展開は何も覚えていない。今読めばまた面白いのかもしれないけど、あの本は今手元にない。

 穴を掘ることが懲罰になるのは、穴の中で人間は孤独だからだ。自分は何をしているんだろうと思う。それでも掘れる限りは掘る。スコップを地面へ突き立てて土を掘り返してもまだ土がある。土があるなら、まだやることがある。

 

「地球のうらがわまで掘りまくれし!」

 これは映画「サウダーヂ」のキャッチコピーだ。「掘りまくれ!」ではなく「掘りまくれし!」。甲州弁である。映画のロゴを見ると、タイ語ポルトガル語で併記がされている。甲州弁、ポルトガル語タイ語、これらが飛び交う町・山梨県甲府が、物語の舞台となる。

この映画が、とにかく、今まで見た映画の中で一番面白かったので、今日はその話がしたい。

 

 あまり関係ない話、というか私の体感でしかないのだが、「何でもいいから何かが起これば自分の現状が打破されるのではないか」というほの暗い期待のようなものが、今の社会にはなんとなく存在していると思う。生前退位で改元するんじゃないかとかゴジラで東京がめちゃくちゃになるとか、少なくとも私はそういう風景を見て高揚したし、自分の日常が打破されることに恐れと期待が同居している自覚があった。

多分その「日常の打破」が、一番最近/一番嫌な形で発現したのが東日本大震災なんだと思う。震災があったのは、サウダーヂ公開から少し前の、2011年3月11日である。

そこから5年経って、また社会が嫌な方向にぐいぐい進んでいくのを見ている今、私が自分自身についてずっと考えているのも、偶然じゃないはずだ。私もまた、穴を掘っている。穴という巨大な空洞。

 

 「サウダーヂ」は群像劇で、主にスポットライトが当てられるのは土方の青年たちだ。パチンコ中毒の親と精神異常をきたした弟を抱えながら、HIP-HOPクルー「アーミービレッジ」の一員としてラッパーをやりつつ土方の仕事を始める青年・猛と、子供を望む妻をあしらいながら先の見えない暮らしを続ける土方の精司。そこに、ヒッピーぶって「ラブ&ピース」を広げたいと話す猛の元カノ・まひるや、ブラジル移民の一家に生まれて山梨でラップをしている青年・デニス、家族のために故郷のタイを離れてパブで働くハーフの女性・ミャオらの暮らしが絡んでいく。

 

 そこに漂うのは閉塞感である。ヤクザと政治家と肉体労働者と移民が同居する田舎町を、家族や仕事を背負って毎日歩いていく。家路は変わらないし、帰宅すれば同じ人がいる。不安定な暮らしという一定のリズムの中で、猛にも精司にも「寄る辺」はなかった。彼らは精神の柱という部分に空洞を抱えている。その穴はいつのまにか掘られていた。何かが変わりはしないかと、みんな期待している。

寄る辺がない人々はどうやって生きていけばいいのだろう?

 

 映画の内容を全部説明することは難しいので、田我流演じる猛について、説明して考えてみたい。

猛は、自分の暮らし向きが良くないのは全て外国人移民のせいだと信じ、ちゃちな論理で右翼を気取っている若者である。「大和魂を見せてやる」と意気込んでブラジル人移民のHIP-HOPクルーと対決しようとするが、ブラジル人たちは特にアーミービレッジのことを見ていない。言葉が通じていないのだ。

元カノのまひるは、「わたしはず〜っと、味方だよ」と言い、猛に東京行きを勧めた。しかしそのあとに続く言葉は、「わたし気づいたの。世界に敵なんかいないって」というヒッピーの薄っぺらすぎる一般化された愛の言葉だ。まひるもまた、ちゃちな物語に酔うしかない行き場のない女性だった。

いくら止めてもパチンコが止められない両親。怪しい言葉をぶつぶつつぶやいている右翼かぶれの弟。ヤクザからの勧誘。

猛は外国人を憎んでいる。敵さえいなければきっと日常が打破され、是正されるのだと考えて、怒りを貯める。

 

 映画は猛の顛末で終幕する。

自分の外国人への怒りを理解してくれないアーミービレッジの仲間たちに失望した猛は、「東京で音楽業界関係者の知り合いを紹介する」と言ったまひるを最後の希望と信じて彼女を探す。しかし、まひるはブラジル人男性と親密な仲だという噂を耳にし、よく確認もせずに猛はその希望も捨てた。そしてナイフを持って街に出、ブラジル人青年のデニスを刺してしまうのだ。

デニスを刺したあと、猛はアーミービレッジの溜まり場へ戻ってきて、笑いながらデニスを刺したことを伝える。弟の面倒を見てやってくれ。たまにでいいから。昔遊んでただろ、本当にたまにでいいんだ、頼むよ。あっけにとられて黙ってしまった仲間たちにそう最後に告げると、おもむろに携帯電話を取り出して、彼は自首をした。

パトカーに押し込まれながら、最後、猛は手錠をかけられた手を掲げる。

ついさっきまで絶望していたはずの仲間に向かって、笑顔で。

 

 こんなにキツイものが他にあるだろうか?

 この映画はほとんど全てがディスコミュニケーションでできている。全員が孤独な穴の中で土を掘りながらうめき声をあげる。声は聞こえても何を叫んでいるのかは分からない。点と点がずっと繋がらない。

ここではないどこかを夢想し、自分でない誰かを勝手に望み、ろくに話したことのない誰かを敵視する人々が、どうしようもなく辛い。そこまでどん底に落ちて全部が嫌になっても、まだ人を求めている!

猛が事件を起こしてもアーミービレッジの仲間に対してずっと笑顔でいるのは、刺したことがおかしかったからでも、楽しんで笑っているわけでもないのだ。ただ、赤ん坊が母親にするように、自分が笑えば相手も笑ってくれるんじゃないかと、誰かに好意を返して欲しい一心で笑うのだ。

猛は決して悪い人ではなかった。弟の支離滅裂な話を否定せずに聞いてやったし、親のパチンコ通いも必死に止めようとしたし、ヤクザになるのもダメなことだとちゃんとわかっていたのだ。最後だって、弟のことをよろしくと頼んで自首をした。それでも、彼を駆り立てるものは彼の凶行を止められなかった。

 

 どうして人間は人間の群れでなければ生きていけないんだろう。群れでないと生きられない生き物にするなら、なぜつらいことをつらいと感じる機能がついているのだろう。なんでこんなに愚かなんだろう。なんでこんなに辛くても死ぬのは怖いんだろう。なんでまだ人と話したいと思うんだろう?

 

 分からない。正解はない。これを極めて冷徹な俯瞰の目線で撮り切ったことが、もう、事件の域である。

 

 「地球のうらがわまで掘りまくれし!」

地球の裏まで掘ればブラジルにつながってるよ、ちょっと曲がったらタイだよ、こんなに簡単なんだ。

麻薬を吸いながら男がそう語る。今その瞬間に隣に住んでいるブラジル人やタイ人とはつながれないままなのに、穴を掘ったその先の新天地を夢想している。

 掘るしかないのだ。

 

 

 

以上が支離滅裂ながら私の「サウダーヂ」の感想である。語りきれない名シーンも、素晴らしい映像も、ここではお伝えしきれていない。私が書いたことはあくまでも作品のごくごく一部にすぎないことを明記しておく。

DVDになっていない作品なので、ぜひ機会があれば逃さずに足を運んで欲しい。

 

2016年上半期の仕事まとめ

おかげさまで、今年もあちこちで記事を書かせていただいております!

というわけで、気に入っていたり評判が良かったものをダイジェストで振り返ってみましょう!

 

【ねとらぼ】

数が多いので、一覧も貼っておきます↓

☆ようかんガチャ

政党取材に言ったとき、広報の方に「ようかんガチャの人ですか!」と言っていただいたのが思い出深いです!ちなみに私自身はようかんは食べられません!

☆青森がお前をKILL

この記事から話題が広がり、ニュースやテレビでかなり取り上げられたようです!全然ネットを見ない方にも気にしていただいていたのが嬉しかったです。青森県はネタの宝庫なのでいじりがいがあるんだろうな〜と思います。

☆プリパラ映画試写会

初めての試写会取材です。ただただ幸せでした。

世界三大美女ブラセット

歴史ネタをちょこちょこ挟んで書いたのが楽しかったです!力作です!

 

【選挙ドットコム】

☆政党お問い合わせチャレンジ

今まで選挙ドットコムに書いた記事の中で一番PVが良かった記事です。各政党に質問メールを送って返事が来るか試したもの。各方面から反響はありましたが、ブロ◯スのコメント欄に多少好意的なコメントがついたのが一番驚きました。

☆政党ぶっこみ取材:日本のこころを大切にする党

さきほどの記事のとき、日本のこころを大切にする党の方から「直接来てくれませんか」とお声がけいただいたので実際に政党本部まで行ってみました。

青森県選挙CMコンペ

青森の選挙管理委員会が行っているCMコンペに応募して入賞しました。青森県在住でもなんでもないのにありがとうございました。やっぱり私は青森に何か縁があるのかもしれない……

☆TOHYO CYPHER取材

選挙PRラップイベントを取材したもの。ルポだけではなく、政治のPRにヒップホップというカウンターカルチャーを利用する事自体について、色々考えました。Twitterでラップファンの方に「このイベントに関する記事の中で、これだけが読むべき記事だ」と言っていただけたのが一番嬉しかったです。

 

【messy】

☆女たちの情熱政治 書評

初めてmessyで書かせていただいた記事です。

☆「歴女」という単語が嫌だという話

歴史が好きだというとすぐ「歴女だね」などと言われるのが嫌で書いたもの。文化とジェンダーは切り離した方が幸せだと思う。

☆女性と地獄

こんなマニアックなテーマで書かせていただいていいんですかシリーズ。中世〜近世にかけての(現代の倫理から見た)女性差別について書きました。地獄は人間の罪悪感が如実に反映されるものなので、当時はそういう価値観の人間が生きていたんだな、ということが分かり、面白いです。

阿野廉子

こんなマニアックなテーマで書かせていただいていいんですかシリーズその2。後醍醐天皇の妃・阿野廉子の激烈な生き方について書きました。廉子は本当にエネルギッシュで凄まじい女性です。生命力を感じます。

 

春からmessyでもお世話になっています。

現在もお仕事は募集中ですので、何かありましたらご連絡ください。

dempa_com@yahoo.co.jp

正しい倫理子 (@rinsura_com) | Twitter


執筆しやすい内容

・日本中世史

大学の専攻分野です。日本中世に関係することなら大体何もかも好きです。専門は社会文化史・心性史系統。

一年ほどですが、鎌倉の寺院で働いていたこともあります。

ジェンダーに関する話題

・デモ

・BL

木村ヒデサト先生とのばらあいこ先生のファンです。

・アニメ、漫画

・古式捕鯨

舞城王太郎

など!

 

P.S.

 千晶ちゃんと「カルチャーと身体」というテーマで往復書簡しております!

まったり更新ですが、楽しんでやっておりますので、よろしければ読んでみてください!

 

自分を巡るカルチャーと身体 第三回[正しい倫理子→千晶2]

第一回はこちら

第二回はこちら

 

カルチャーと身体についての往復書簡、第三回目です。

ちょっと時間空いちゃって申し訳ない。ゼミ発表の準備に追われてました。学生の本分という感じがしますね。勉強は大好きだけど、時間がかかることはそれだけで大変だ。

 

 

ではさっそくお手紙です。

 

千晶ちゃんへ

 

前回はびっくりするほど面白い手紙が信じられない速さで送られてきたので、本当にわくわくしました。ありがとう。

こういう、私が言い出した企画に友達がちゃんとやる気出して乗ってくれる、という経験が本当に今まで乏しかったので、すごく嬉しいです。

 

前回はエロの話だった。今回もエロについて書いて、千晶ちゃんへのアンサーにしようと思ったのだが、いかんせんうまく言葉が出てこない。エロという言葉が指すものを私自身あまりはっきり認識していないせいだった。というわけでちょっとエロについて考えるのは先送りにして、話題をちょっと広く取る。「嗜好」そのものから、何か話せないだろうか?

さすがに生まれて20年経つと、何かしら好きなものができる。私は日本中世史を溺愛して、アニメに憧れて、BLを消費して生きている人間だ。けれど、好きな歴史上の人物と結婚したいわけではないし、アニメキャラになりたいわけでもないし、男性になって男性と結ばれたいわけでも、BLの受けに感情移入しているわけでもない。

この嗜好を簡単に抽象すると、「私のいない世界への強烈な憧れ」ということになるのだろう。

 

「私のいない世界」でだけ、私は自由である。

なぜそうなってしまったのか、自分でもよくわからないけれど、私が私自身を許していないからなのかもしれない。

 

人は身体を通じて何かを感じている。生きている限り、身体を使って絶えず情報の送受信が行われ、それは身体を削ったり隙間を埋めたりを繰り返してきた。

千晶ちゃんは、機械も身体だと言っていたよね。それはある意味で深く同意できる。というのも、機械が性的なのは、機械というのが、人間の代わりに情報の送受信をしてくれるようになったからなのではないか、と思うからだ。

たとえばメールでやりとりをするとき、そのメールを送ったのはどこかのパソコンの前に座った誰かであって、私とコミュニケーションをしているのは、建前上はその誰かさんであるはずだ。けれど私がそのメールを読んで返事を打つとき、私が向き合っているのは人間ではなくパソコンの無機質な体である。

インターネットがなかった頃、日々の生活において、コミュニケーションの送受信には必ず人間の身体が関わっていた。手紙なら相手が触った紙や相手の手書きの文字が伴っていたし、電話は相手の肉声やしゃべり方があって、情報そのもの以外の情報が揺らぎながら現れていたと思う。

今や、情報だけになった情報を打ち、それを送る事実について、送り主が人であることはあまり重視されていないのではないだろうか。そのぶんだけ、パソコンをはじめとした人間の代わりに働く機械たちが、身体めいてきた。

(千晶ちゃんが例にあげた両替機も、金を小銭にばらす、という行為において、人間の「相手」である)

機械が身体に近寄ったことで、身体も機械に近寄ることになった。やがて私の身体は置き換え可能になった。感受性の基盤となる身体が、相対的に価値を失い始めたのかもしれない。たぶん、身体を素直に憎むことが出来る世界が始まりつつある。

私のいない世界とは、自分が何かを感じるための身体が取り除かれた場所だ。その世界のコミュニケーション、すなわち情報の送受信の対象外にいることで、私の精神活動はすべて壁打ちと化す。身体で以て感じているわけではないから、世界の観客ですらない。その世界線のなかでは一番抑圧されていながら、私の現実のなかでは一番暴虐な振舞いができる。

 

……うまく説明できただろうか。抽象的すぎるかな。

で、例えばBLの場合。あまりBLとジェンダーを絡めて話すのは好きではないというかする意味を感じないんだけど、あえてちょっと普段感じていることを書く。

BL愛好者がBLを好む理由はたくさんある。設定が自由で話が面白いとか、単純に絵がきれいな作家さんが多い、あるいは現実のジェンダーバイアスに疲れて男女恋愛ものが許せなくなった……という人もいるだろう。

ただ、その中には一定数、「自分のいない世界」を求めている人がいるんじゃないかなと私は思っている。

はらだのBL漫画「私たちはバイプレーヤー」は、その明暗の複雑さを抉る名作だ。(読んでなければ下のリンク等参照してほしい。単行本「ネガ」に収録されてます)

 

BLにおける女性キャラは、そもそも出てこなかったり、執拗に顔を隠されていたり、あるいは腐女子であったりと、世界を邪魔しないものになるよう気遣われている。

そして、BLの中で、登場する女性が主人公たちと結ばれることはない。「男と男の恋愛」という筋書きがBLの「大きな物語」であって、それ以外の結末を得てしまったら、BLの文脈を逸れてしまうからだ。二人の男が愛し合う、という1つの事項さえあれば、あとは全てがオプションである。BLは女性に限りなく優しく、そして同時に残酷だ。

徹底的に女性を無視した世界を、ただのエンタメと見る人もいるだろうし、ジェンダーの抑圧から逃げ出せる場所だと思う人もいる。で、私にとっては、安心できる「私がいない世界」なわけだ。

 

前回、千晶ちゃんの自己紹介は、ごく複雑で興味深い自分の性のあり方について説明してくれていたけれど、私は自分の身体に向き合うことすら放棄しているので、自分のジェンダーについて言葉にしないようにしている。気取ってるとかバカっぽいと言われるかもしれないし、自分でもこれはパフォーマンスだと言われてもしょうがないのではないか、と思うことがあるけれど、今の所はそれで苦労していないので現状維持。

私はこれでも、少しずつ世の中の認識は便利なものへ変化していると思っている。身体に向き合わなくても生きていけるし、「向き合わない」ことを選択肢にできるのも、多分時代が変わりつつあるおかげだ。

世の中が生きやすいと思える日は多分来ない。身体はどこまでも追いかけてきて私を苛むし、だったら少しぐらい身体のことを忘れるための場所があったっていいと思う。


今回はこんな感じかな。

前回付け足してもらった、演じている間の自己の話、すごく興味深かった。相対化されてはじめてはっきり輪郭を持つことって意外によくあるみたいだ。

また近々ご飯でも行けるといいな。暑くなってきたから体調に気を付けて過ごしてください。

では。

倫理子より 

 

自分を巡るカルチャーと身体 第一回[正しい倫理子→千晶1]

身体とはなんだろう?

棄てられないもの、好きだけど憎いもの、私を私たらしめているもの……身体について悩めば悩むほど、私は身体から逃げられないことを実感する。
身体の形は一人一人異なっていて、それを自分のなかでどう解釈しているかも一人一人違う。仕草、美醜、大きさや輪郭、はたまたセクシュアリティやあり方そのものまで、実態とイメージがそれぞれ存在しているわけである。
身体とは、悩みの発生源でもあり、同時に究極に興味をそそられる世界の秘密にも見えた。身体を考えることは、私のなかで今一番大きな課題だ。
 
 
で、唐突なんだけど、往復書簡を始めようと思う。
テーマは「カルチャーと身体」。
二人で語り合う形式をとり、文章でも絵でもプレイリストでもブックマークでもいいので、何かweb上で「カルチャーと身体」をモチーフにしたレスポンスを送り合う。
内容は、学術的なことやデータよりも、自分個人の生活の実感から得たことを中心に据えたい。だからこそ、「『自分を巡る』カルチャーと身体」というタイトルにしてある。主語が狭いぶん、なんとなく思ったことをおしゃべり感覚で自由に述べられたらいい、と思っている。
 
今回そのお相手をしてくれることになったのは、ツイッターで知り合った同い年の劇作家・千晶ちゃん。もともと友人を経由してフォローしたのだが、考えているジャンルが自分に近かったことと、身体について考える以上演劇の人と話してみたい、という動機があり、先日初めて連絡を取って会うことができた。
千晶ちゃんは本当に頭がいい人で、私のような抜けた人間にもわかりやすい順番で考えを丁寧に話してくれたし、その内容は録音しておけばよかったと思うほど新鮮で面白かった。そういう会合があったので、身体について複数人で考える試みをやってみたいと思いついた時、まっさきに千晶ちゃんとやりたいと思ったのである。今回それが実現して本当にラッキーだった。
 
前置きはこのぐらいにして、第一回目の手紙を私から送ろうと思う。返事は千晶ちゃんがきまぐれに返してくれるだろう。いつまでやるのかも分からないし、落としどころも考えていないが、とりあえず書き出していく。興味を持ってくださった方がいれば、読んでもらえると嬉しい。
 
 

第一回:正しい倫理子から千晶へ

 
千晶ちゃんへ
 
こんにちは。今回は、私の身勝手な企画に参加してくれてありがとう。ツイッターで私が放った無責任な発言に、速攻で「誘って!」とリプライをくれたのが嬉しかった。
この間あった時は、実はちょっと人間関係で若干のヘマをやらかした直後だったんだけど、千晶ちゃんと話して得た知見で自分について少し客観視することができたので、こっそり感謝をしています。
まあそんな話は置いておいて、本題に入ろう。
 
  

この間、鷲田清一の「ちぐはぐな身体」という本を買った。

鷲田清一によると、人間は自分なのか自分でないのか分からないものに恐怖を感じるらしい。だから抜けた髪の毛とか排泄物を汚いと感じる、という話の流れで出てきた。

始めにこの言説を読んだときはフーン……という感じだったんだけど、最近は納得している。というのも、自分のコミュニケーションに大いに問題があるということに気づいたからだ。

私は無意識に相手に感情移入する。相手の気持ちを考えるとき、「相手だったらどう感じるだろうか」という方向ではなく、「自分が相手の立場だったらこう思うだろう」という方向で物事を捉えてしまうのである。

大きな問題は、後者の考え方をしながら、自分では前者の考え方をしていると思ってきたことで、そのせいで色々失敗をしている、ということにも気づいたのはごく最近だった。さすがに反省をした。

私は関わる他人を全部自分だと思ってきたのかもしれない。会う人が自分とは違う考え方をしていることを、知らず知らずのうちに無視していた。

「人間は自分なのか自分でないのか分からないものに恐怖を感じる」。「自分なのか自分でないのか分からないもの」は、私にとっては「他人」そのものだったのだろう。他人は、マジで怖い。

 

 まあこう書いているのも全部終わったことだ。後からわかったところでやってしまったことは取り返しがつかないし、逆に今気付けたんだから儲けものだと思う。これからはちゃんと他の人の立場や考え方を思いやりましょう、以外の結論はない。頑張るぞ。



で、思ったのだが、「演じる」って、いわば他人になることで、「他人になっている自分」は、演じている人間からしたら「何」になるんだろう。やっぱり「自分なのか自分でないのか分からないもの」なのかもしれない。

去年、国立新美術館の「隣の部屋」という企画展を見た。韓国と日本の現代美術家が、それぞれに作品を展示し合うという面白い展示で(結局面白すぎて2回見に行った)、その中に興味深い作品があった。

外国人の役者が、架空の俳優として、自身が体験した(という設定)の幽霊話を語るというものだ。もちろん全部演技。会場にはモニターが5つ展示されていて、常にモニター1つが1人分の映像を流し、終わったら隣のモニターの映像が流れ始める。

肩を叩かれて振り向いたのだがそこには誰もいない……といった、幽霊話としては平凡な部類のやつを、さも自分の身に起きたことのように砕けた言葉で話す俳優たち。結局、今流れている映像に映っているのは「誰」で、この話は「何」なのか?という、実に不思議な展示だった。

今ここにいる人が「誰」か?って、冒頭で身体について言ったように、「イメージ」と「実態」の問題がついてまわる。自分で思っている「自分」と、他人から見た「自分」には齟齬があるわけで、もうその時点で「自分」というものは多重だ。

「本当の自分」なんてものがあるとは、私にはいまいち思えない。人間は、場や相手に合わせて身体も態度も絶えず演技させているから。それでも、こういう多重に「自分」をぼやかしている作品を見ると、なんだかこう、やっぱ人間に変化しない「核」みたいなものがあってくれないかな、と考えたりもする。演劇の世界だとそういうのってやっぱり話題に上ったりするのかな。

 

 

第一回から、よく分からん文章を書いてしまった。初回はこの辺までで止めておくことにするね。ここが意味不明だ、というのがあれば、遠慮なく言ってください。あと、何度も言うけど、返信は完全にレスポンスになっている必要性は全然ないし、ただ話したいことを返してくれたらいいので、よろしく。

ではまた。

正しい倫理子より。

※返事が来たら随時リンクを追記します。