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巣矢倫理子のブログです

底抜けに明るい地獄「血界戦線」

※2015/07/15にnoteに投稿した記事の移行版 内容改変なし

 血界戦線のどこが良いかと聞かれたら、それはやっぱり人間である。私は人間が好きなんだと思う。血界戦線ではちゃんと人間が人間で、社会が社会だから、より生々しい「倫理」が味わい深いのだ。
血界戦線では、画面の向こうに人が生きている。
「大崩落」によって再構築され、異界が流れ込んだ元ニューヨーク=「ヘルサレムズ・ロット」で、主人公レオナルドは生活を始めた。自分のせいで視力を失った故郷の妹に、目を返すためだ。
ヘルサレムズ・ロットは端的に言って地獄である。毎日のように暴力が噴出し、人が死ぬのも特異なことではない。異界から来た者は容赦ない差別にさらされる。システムはまるで世界についていけていない。
しかし、人間はどうか。私たちは「異常」に慣れる。ヘルサレムズ・ロットの人々も、もはや非日常が日常であって、とっくに世界に適応しているのである。人間の力は環境への適応にある。

血界戦線の世界において、最も環境への適応が早いのはザップだろう。彼は何もかもを受け入れる力がある。師匠に不可能とも言える無茶な命令をされても「師匠なりに考えがあるんだろう」と一瞬で納得するし、無法地帯であるヘルサレムズ・ロットで女と酒と薬とギャンブルに溺れることはある意味凄まじく素直な行為だ。
彼はその場にある物を見ている。頭が悪いのは確かだが、現実をそのまま見てそのまま飲み込むことは、純粋な戦闘において凄まじい才能だろう。(目の前にあるものだけしか見ていない、という取り方もできるし、それに伴うデメリットも存在している)
そして、現実を見て受け入れているからこそ、ヘルサレムズ・ロットという場所のルールを嚥下し、それが特異であることも認識している。
ネジ回でレオナルドとジャックロケッツバーガーについて話すシーンで、彼はなんのてらいもなくハンバーガーチェーンの差別的な経営方針について語る。ジャックロケッツバーガーがトレードマークをテイクアウトの包み紙に印刷していないのは、異界のものが自社製品を食べていると印象が悪くなるからという話だ。
レオナルドはそのエピソードに怒るのだが、その反応を見たザップは、お前もヘルサレムズ・ロットに染まったな、と言うのだ。まだヘルサレムズ・ロットの外では異界のものなど化け物でしかなく、人間に対等だと思っている人間は希だということを、ザップはよく知っている。
ザップ自身が差別的かといえば、そうでもない。確かにザップは対象が気持ち悪いと思えばそう言うのだが、逆に何に対してもそうなのである。化け物だと思ったから化け物と言い、魚類に見えたら魚類と言い、陰毛に見えたので陰毛と呼ぶ。
つまり、彼は良くも悪くも「子供」なのだ。目の前にあるものに飛び付くことができる。彼ほどヘルサレムズ・ロットに似合う人間はいない。あの街で「楽しく生きる」ためには、柔軟に現実を受容し愛するのが一番手っ取り早いからだ。
ではレオナルドはどうか?
私が血界戦線を好きになった理由の一つが、彼の態度でもある。
ネジの話を思い返そう。レオナルドは異界生物であるがゆえにジャックロケッツバーガーが買えないネジに、自分が代わりにバーガーを買いに行ってやると提案する。それはそれまでネジにバーガーを買っていた男が定価の16倍の値段をふっかけていたからであり、それをネジが仕方のないことだとして諦めていたからだった。
レオナルドは別に正義に燃えているわけではないのだ。ただ彼は、ネジが法外な値段を払わないとバーガーを食べることもできないという不平等さに怒り、自分のできる範囲で解決を図ったのだった。

また、友人になったネジに対して、レオナルドは「ネジの種族に母親って概念ある?」と尋ねる。これが、うまく説明できる自信がないのだが、いいなあ、と思ったのだ。相手を決めてかからずに、相手と自分が違うことを理解しながらコミュニケーションを取ろうとする態度と、それを自然なこととして当たり前に行うレオナルドは、本当に優しいのだと思う。
相手を必ず相手として扱い、思いやり、困っていれば自分のできる範囲で全力で助ける。普遍的に見えるこのレオナルドの行動は、ヘルサレムズ・ロットにおいては簡単に出来ることではない。我々のような普通の人が、こうできたらな、となんとなく思い描く「優しい自分」が、レオナルドに重なるのだ。
ザップとレオナルドは育ってきた環境も人としての性格やスタンスもまるで違う。それでも仲のいい先輩後輩として、楽しくやっている。彼らだけではなく、そもそもライブラ自体があらゆる出自の人間を抱えており、その中で上手く成立している。その明るさは、アニメのEDを見れば一瞬で理解できるだろう。
ここでもう一度、ヘルサレムズ・ロットについて考える。あの街は端から見れば地獄だ。異形のものも死もすぐそばにある。その中にあって、ザップは街に順応し、レオナルドは「優しい人」であり続ける。だからこそ、血界戦線は明るい。命をいくら削っても何度死にかけても、彼らは彼らとして芯が揺らがない。場所がどこであろうと、自分が「やるべきことは分かる」ならば、動揺も暗い見通しも必要ないからだ。
変動する世界がリアルに描かれるなか、それは際立って楽しい。
ライブラのメンバーは地獄でも躍り続けるのである。