読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

SEPPUKU Web

巣矢倫理子のブログです

私が許せなかった国と体、あるいはPerfumeという祝福について

感想・レビュー

※2015/11/23にnoteに投稿した記事の移行版。内容改変なし

Perfumeワールドツアー3rdのドキュメンタリー「WE ARE PERFUME」を見た。
Perfumeとは、何だろう?
Perfumeの映画を見ながら、私は不思議と自分について考えていた。
先にいっておくけど、私はこういう自分とすばらしいアーティストを絡めてものを考えることに滅茶苦茶な羞恥を覚えている。自分で書きながら気持ちの悪い自己陶酔の一種にも見えている。それでもあえて書く。それを汲んで怒らずに読んでくれたら嬉しい。
わたしが今までの人生をとてもとても多目に見たとして、それでも受け入れられないものが二つある。国と体だ。
私は自分を国の中の人間だと知っているし、故郷が好きだし、その故郷は日本なんだけれど、日本という言葉を口にするとき、いつもぐじゅっと胸の奥にわだかまる何かを感じてきた。ナショナリズムへの嫌悪とか単純に今の国への憎しみとかそういう口に出せる言葉の外にも、それは微妙に広がっている。それがなんなのかは私にもわからない。
そして体。
体を動かして楽しかったことがない。
明治維新以降、少しずつ列島生まれの肉体のすべてが義務教育で統一規格を教えられるようになって、私ももちろん体の使い方を学校で教えられたけれど、私の体はそういうことに適しておらず、体育は常に低評価をくらい続けた。体はままならぬものだ。美しくもない、思うようにも動かない、そして持っている限り一定量の私に関する情報を勝手に開示し続けるこの肉体から、逃げられないことがつらい。
体に蓄積される努力でよじ登る生き方ができたことはきっと一度もない。全部その場しのぎだし、私は全部「やり過ごしている」。

そういうものを忌み、避けてきた私は、多分「胸の奥にわだかまる何か」と同じ色をしている。もとの形をなくして崩れている汚泥のぐしゅぐしゅ。
Perfumeはわたしの真逆だ。
自分のからだを子供の頃から鍛え上げ、努力をし、涙をのみ続けてやっとチャンスを得て成功した。ふわっとそこに現れた美ではない。しっかりと重ねた日付を我が物にしてきた、威厳ある体だ。
楽屋に飾られたライブ成功祈願の色紙には「日本のいいところを知ってもらえますように」とか、ライブ前のあーちゃんの叫び「大和魂みせちゃる!」とか、そういう普段の私ならざわっとくる言葉を、彼女たちはすっと体に通すように軽やかに使って見せる。(Perfumeがどう考えているかという話ではなくて、それを見た私のざわつきの程度の問題として。)それは彼女たちがジャパニーズ・ポップスの発信者として、何度も国境を越えてきたからだ。なんのてらいもなく、私たちはもっと高みへ上る!と宣言できる清々しさを持っているからだ。
美味しいものを口にしておいしいと言い、お客さんにあいさつされて笑顔で答え、事務所の会長に肩を触られても平然としている。目の前の相手に敏感に反応して求められる通りに応え、体を駆使して踊り、それを全て楽しむ……。

彼女たちには澱みがない。求められたことを理解し、喜んでそれに応え、全てを清らかに受け入れる。私が許せなかったものを軽々と抱くperfumeを、私の目が神々しく認めずにいられるわけがなかった。
エンディングでSTAR TRAINが流れ始める。「l don't want anything」というサビのフレーズが、全てを要約したと言えよう。
受け入れて喜ぶことを祝福と言うのなら、perfumeは水面に映った全ての人間を聖別する<香水>かもしれない。