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SEPPUKU Web

巣矢倫理子のブログです

舞台「弱虫ペダル」の中世

※2015/03/30にnoteで投稿した記事の移行版、内容改変はありません。 

 先日、ついに見に行ってしまった。舞台「弱虫ペダル」である。(ライブビューイングですが)
キャラクターの再現度、熱量、演出、どれをとってもドキドキしてしまう、ものすごい舞台だった。そして、原作の熱を次元を上げて伝える舞台という媒体が、「なぜ私が弱虫ペダルにヤラレたのか」という疑問に一つの解答を示した気がしてならない。

それは「中世」だ。
弱虫ペダルでは、三日間のインターハイの中で、チームメンバーが次々脱落していく。他の誰かをゴールさせるために自分の足を犠牲にして、精一杯メンバーの風避けになって落ちていく選手たち。私は手に汗を握って原作を読み、脱落する男子高校生の汗に感動していたのだと、そう思っていた。そしてそれは半分事実で、半分は核心でなかった。
舞台版ではこれらの脱落シーンがド派手に演出される。叫び、猛り、逆光に立つキャラクターが、流れる走馬灯と共に爆発的な効果音で去っていく。ライブビューイングの会場で、「なんだこれ自爆かよ…」とつい思ってしまった。何かに似ている。そう、大河ドラマの自害シーンだ。舞台版の脱落シーンはまさに「切腹」なのである。武者が切腹するシーンでは(前後の話が分からなくても)漏れなくボロ泣きしてしまう日本史オタクである私にはたまらなかった。そうだ、私は男子高校生の自己犠牲に感動しているのと同時に、そこに"武士"を思い出してうるっと来ているんだ…。原作だけでは気づけないものに、舞台は気付かせてくれる。次元が一つ違うだけで、見方はかなり変わってくるのである。

そして宗教っぽさである。舞台を見終わったあと、わたしが真っ先に感じたのは「アッ、これ神社だ」ということだった。特に荒北神社である。荒北はインターハイ三日目、一人で敵高校を翻弄し、ドラマチックな過去エピソードを明かしたうえで彼らを叩き潰したのちに、チームメイトたちを全力で引いて(風避けとして先頭を走る行為のことです)、そのまま力尽きてリタイアしていくキャラクターだ。まさに見せ場の連続な訳だが、舞台でもここは相当力をいれて描かれていた。まさに「奉られている」としか思えない。「荒北が一番かっこよく見える演出」が為されているのだ。この「○○が一番かっこよく見える演出」が各キャラクターごとに設定されている。そういえば原作もそうだったのだ。原作で流れるように読んでいた部分も、そのキャラが一番かっこよくなるように描かれていた。原作というイデア界を、肉と汗で体感させてくれる…それがペダステだ。全ては神社だったのだ。神社の連続、それに興奮する我々オタク。これが宗教でなくて何なのだろう。舞台そのものが「キャラが一番かっこよく見える演出」でそのキャラを奉る神社である上、我々オタクもチケット代というお賽銭でその神輿を担がせてもらえる。わたしはチケット代をマーベラスエンタテイメントでなく神に支払ったのだ。本当に中世だ。

それから「憑依」である。本当にキャラクターの再現率が凄まじい。黒田、石垣、そして東堂あたりは本当に体にキャラクターの魂を降ろしていたとしか思えない。荒北役の鈴木拡樹くんは、正直わたしには荒北そのものというより荒北になろうとしている人に見えてしまったのだが、一緒に見た方は「すごい」と何度もおっしゃっていて、「あ、これは鈴木拡樹くんから見た荒北なんだ」と腑に落ちた。それぞれの見方、それぞれの「宗派」にのっとり、役者の体を媒体にしてキャラクターが呼び出される。憑依の作法はそれぞれだ。ペダステ神社はそれぞれの宗派を内包して、裾野を無限に拡げる。
舞台弱虫ペダルは、単なる舞台として楽しめるだけでなく、原作ファンに新たな見方を示して原作愛を加速させる。私も舞台の熱にやられて、借りて読破した原作単行本を買い直してしまった。尻込みしている原作ファンはぜひ見るべきだし、原作未読の人が沼に飛び込む素晴らしいきっかけにもなる。そしてひそかに、中世オタクの方にも舞台弱虫ペダルはオススメできるとご報告したい。
最後に一言。舞台「弱虫ペダル」、テニミュと比べてはいけません。ペダミュじゃないよ、ペダステだよ。