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巣矢倫理子のブログです

性癖の話をした方がいい理由

※2015/04/08にnoteで投稿した記事の移行版。内容改変なし

 いわゆる「Lgbt」の友人と話していて、こう言われた。
「もう、当事者とか非当事者って分けたくない」

前に書いた記事「アニメと愛とジェンダー」で、私は性別が邪魔だという話を書いた。本当は些細なことであるはずの性別で、世の中の人間は同性愛者と異性愛者に分けられてしまっている。愛せるものの対象の性別はそんなに特記すべきことだろうか?実は性別は「日焼けした人が好き」とか「ヤクザっぽいスーツを着ている人が好き」といった「フェチ」と同列に語っても問題がないのではないだろうか。性別は、人間の"ほんの一要素"でしかないのではないか?
思い当たる節がある。わたしは異常に女軍人というものが大好きで、戦う女性に本当に目がないのだが、その感情が「生まれつき」であり、社会的な自我をもって男性を好きになる前に存在していたということだ。

思い返してみよう。未就学児の頃に、ジブリアニメの「もののけ姫」を見た。わたしはサンが大好きになった。サンが獣に乗って悪いやつを倒す、強烈なヒーローに見えた。本当に興奮した。(注:未就学児の私にとって、サンはものすごく年上の女の人に見えていたということを強調しておく。ちなみに今見るとエボシの方がタイプである)
小学生の時は伝記漫画の「ジャンヌ・ダルク」が大好きだった。小2かそこらの私にとってはジャンヌはやはり途方もない年上の戦う女だった。周囲を真似て読むようになったちゃおでは、「チェリッシュ」という男装の女の子が女装の男の子と恋に落ちるファンタジーがお気に入りだった。
少年漫画を読むようになってからは男性キャラクターにも目が向くようになったが、戦う女性への嗜好は無自覚なまま続行した。BLEACHの夜一やREBORN!のラル・ミルチは未だに好きだ。小学生のころ読んだライトノベル狼と香辛料」の男装商人エーブはわたしの永遠のマドンナでもある。
中学高校ではアニメやゲームや漫画に次々夢中になった。逆転裁判狩魔冥ジョジョの奇妙な冒険徐倫、そして攻殻機動隊の草薙など、やはり心に残るキャラクターは皆前線で吠える女たちだった。これを自覚したのはつい一年ほど前であり、ここまで全く「自分は女軍人系の人が好きなんだ」と意識したことはない。


つまりわたしが本能的に惹かれていたものは男とか女とかではなく、「戦う妙齢の女性」だったのである。今のわたしは、男体の人と女体の人どちらかと付き合うならば男体を選ぶ。しかし男体の人と女軍人ならば、完全に女軍人の方を選び抜く。
わたしが女軍人が大好きだと言ってもほとんどの人はそれをフェチとして理解するだろう。しかし、生まれながらに持った「好き」はセクシュアリティ以外の何物でもない、とも考えられるのではないだろうか。近年、腐女子であることをセクシュアリティとして解釈する人たちも増えている。自分自身が介在しない世界でも欲を発散できるようになった現代において、何もセクシュアリティの基準が現実である必要は決してない。
だからこそこのタイトルなのである。性癖の話をするべきだ。自分の性欲とまともに向き合って、自分が本当に本能で求めていた「性癖」を見つけるのである。性別にねちねちこだわっている社会を脱ぎ捨てる一番ポジティブな方法はこれではないだろうか。己の性癖と向き合い、考え、壁の一切合切を取り払った上で細かい細かいフェチを楽しむ。きっとその方が生きやすいはずだ。当事者とか非当事者とか分けたくない、みんな同じなはずだという友人の言葉にわたしは共感した。だからみんな性癖の話をして欲しい。なにが好きで、どういうものにエロスを感じるのか、わたしはそういう話が聞きたい。