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SEPPUKU Web

巣矢倫理子のブログです

「ジョジョ」1部から7部までレビュー

感想・レビュー

※2015/06/03にnoteに投稿した記事の移行版 内容改変なし

(ネタバレ有り、既読の方向け)
第一部 ファントムブラッド
第一部だけ読んで、これは最高の漫画だという人は少ないと思う。私自身も、一部のことは好きだが、物語としてぽんと一つだけ読んで面白いかと言われたら、そんなには面白くないと考えている。
それでも第一部が大事で重要なのは、第一部が全ての始まりだからに他ならない。
フルーツタルトの底のタルト生地だけ食べてもおいしくはないが、フルーツタルトがフルーツタルトとして調和するために、タルト生地は絶対的に必要である。それと一緒で、時間の経過と世代交代があるジョジョにおいて、一部は外せない。ここからジョースター家に受け継がれることになる「黄金の精神」と、ジョースター家に立ちはだかり続けるディオという男について、忘れないための記録なのである。
三部で悪の帝王と呼ばれたディオが、一部の冒頭ではまだ人間の顔をしている。それをたまに確認してエモい気分に浸るのが、膨大な時間の流れを持つジョジョだからこそできる楽しみでもある。
一番好きなキャラクター:ディオ


第二部 戦闘潮流

戦闘潮流」というタイトル通り、第二部はバトル漫画だ。ジョセフは毎回戦いに巻き込まれ、ピンチに陥り、そしてそのピンチを知恵で華麗に抜け出す。
強い敵、ライバルとの反発と同調、師匠である謎の美女、ヒロインとの愛という要素だけ見れば、この物語はあまりに正統派だ。しかしジョセフのトリッキーな戦略とカーズという最強生物によって、二部は規格外の熱気を撒き散らす。

一部に蔓延していた暗い障気を振り払う底抜けに明るい主人公・ジョセフについては、この際置いておこう。大事なのはカーズである。
カーズほどの敵が他にいるだろうか?言い換えれば、カーズほど「悪役」として優秀なキャラクターがいるだろうか?
人間でない人間、高度すぎる知能、自在に体を変える能力、あまりにも強靭な肉体。それがアメリカのニートでしかなかったジョセフの前に立ちはだかるのだから、震える以外にないではないか。カーズの印象は、「恐怖」の二文字で全てが完結する。恐ろしい敵だった。

「善き悪役」だったカーズを更新したのは舞城王太郎である。
ネットで叩かれまくったジョジョの"二次創作"小説舞城王太郎「JORGE JORSTAR」は、一部と二部の空白について饒舌過ぎるほどに語った。このあまりに面白すぎると言うしかない大作については読んでもらうしかないのだが、この作品の中のカーズは原作をさらに多元的に変えてしまったのである。自分の強靭すぎる肉体を平然と消費するカジュアルな物腰のカーズに、私は可能性と世界の拡がりを見た。恐怖であるという役割から抜けたカーズは、ジョジョの世界をそっと押し拡げる。
一番好きなキャラクター:リサリサ


第三部 スターダスト・クルセイダース
一番面白くないのは第三部だと思う。こういうとたくさんの人に怒られそうな気がするのだが、事実わたしは3部に魅力を感じられないのだ。
その原因は、敵に遭遇してピンチになって倒して…という繰り返しがワンパターンに見えたのもあるし、承太郎も花京院もみんな好きになれなかったというのもあるのだが、何より「DIOがなんか違う」ということに尽きる。
なんだか、弱いのだ。
一部で業火に焼かれても生き残り、海に沈められてもまた復活し、六部ではプッチという異常者を強烈な光で引き付けた、あの引力そのもののような悪が、承太郎によって殺される。その事実がなんとなく受け入れがたい。原作なのに受け入れがたいもなにもあるか、とは確かにそうなのだが、なんとなく一人の人間の流れとして見て、整合性が取れないような印象がある。
人間の整合性が噛み合っていないと感じられるとき、それは大抵キャラクターが物語の都合で動かされた時である。しかしジョジョにおいて「物語」とは、DIOジョースター一族を結びつける運命そのものに他ならない。結局は私自身が、DIOに夢を見ていたのかもしれない。DIOに使役されたスタンド使いたちの気持ちが、一瞬味わえた。
一番好きなキャラクター:イギー


第四部 ダイヤモンドは砕けない

こんなにドキドキするボス戦があっただろうか?今までの異国情緒溢れる舞台は一新された。宮城の小さな町で物語は始まり、終わる。
田舎町という空間は、「日常」の最たるものとして扱われがちである。終わらない日常に苦しむ主人公の地元であったり、そこから出ていくことが物語の始まりであったりする。しかし何度でも言う、この物語は「杜王町で始まり、終わる」のであり、日常をぶち壊して飛び出していくための戦いではなく、日常の風景を守るための戦いなのだ。そしてそれを脅かすものこそ、平穏な日常を徹底的に求める殺人鬼・吉良吉影であるという事実があまりにも上手すぎる。吉良吉影にとっての日常は仗助たちの日常を害するのである。何に載っていたか忘れたが、荒木飛呂彦が昔「善対悪という二項対立にはしたくない、相手には相手の論理がある」というようなことを言っていた。(確か。)その通り、吉良吉影のおぞましい主観に吉良自身は無自覚であり、それが彼を死後も平穏をもとめてさまよう<デッドマン>に変える。
吉良吉影という異常者の執着に少年たちのひと夏のドラマを併せて、この作品のエンターテイメント性は頭ひとつ抜けているのである。
一番好きなキャラクター:岸辺露伴


第五部 黄金の風
結局生と死、つまりは運命の物語なのだ。
ジョルノ・ジョバァーナが最後に発現するスタンド「ゴールドエクスペリエンス・レクイエム」は、ディアボロを終わりのない世界に叩き込んだ。
終わりのない世界とは何か、それは聖域であり、一つは地獄、一つは天国になるだろう。矢を受けてスタンドを越えるスタンドへと進化したゴールドエクスペリエンス・レクイエムは、まさに神のスタンドなのかもしれない。すべての人間を裁く神だ。ディアボロへ叩き込まれたジョルノの拳は、「ディアボロ」という名前の通りに彼を地獄へ連れていった。そしてその裁きは、死んでも動き続けていたブチャラティを天国へ導いた。
15歳の少年がギャングの世界に飛び込んだことは間違っていたのだろうか。結果として居場所のない不良学生に過ぎなかったジョルノは、仲間を得て、犠牲を払い、ギャンググループを乗っ取る計画を達成した。彼をその運命の門に連れていったのはブチャラティであるが、彼をそうさせたのはジョルノの「覚悟」であり、その「覚悟」はジョースター家の黄金の精神に他ならない。そしてスタンドを越える神のスタンド、ゴールドエクスペリエンス・レクイエムは、「黄金」かつ「神」=すなわちイタリア語で「DIO」なのだ。ジョナサンとディオから始まった運命が一つになってジョルノの身に降り注いだのち、ゆっくりと世界に破滅と決着が忍び寄る。六部の足音が聞こえ始める。
一番好きなキャラクター:ブチャラティ


第六部 ストーンオーシャン
空条徐倫の人生について考える。
彼女は幼くして父と別れ、愛に飢え、やがて運命に巻き込まれる。何一つ確証できるものを持たない彼女には、突然始まった自分の運命にただただ戸惑って怒るしかできない。そこから立ち上がるきっかけは、やはり、スタンドだった。
彼女は最も強い「ジョジョ」だ。スタンドの名前も自分でつけてしまった。父すら自分でつけなかったスタンドの名前を。物語と共に徐倫はよりタフになってゆく。
一方三部であんなにも屈強だった承太郎は、徐倫を守って仮死状態となる。反対に三部で彼に殺されたDIOは、プッチのイメージのなかで異常な存在感と皇帝のような力強い眼差しを発揮した。生きてきるからこそ弱くなった承太郎、死んでいるおかげで何も変わらないDIO。ここでも因縁は追いかけてくる。
徐倫は何も悪くなかった。彼女がここまで来てしまったのは全て、彼女の血がジョースターだからだ。怒り、苦しみ、自分を取り巻く何もかもを呪っても仕方がない状況だっただろう。しかし彼女は自分がジョースターであることを受容した。それは彼女が自分を捨てたと思っていた父を許すことであり、飢えていた愛をくれる相手に気づいたことであり、未来に希望を託して海に散ることを選んだことでもあった。
ここで第一部を思い出す。自分はなにも悪くないのに苦しまなくてはならなかったがために、自分を取り巻く全てを呪ってしまったディオと、運命を受け入れて未来に希望を託し、海に散ったジョナサン。
「一人は泥を見た。一人は星を見た。あたしはどっちだ?」
彼女の選択は黄金の精神に導かれている。彼女はジョースターの血を選んだ。全ての運命を錨のように巻き付けて、彼女は海に沈み、そして世界は新しい夜明けを迎えるのである。物語は六部で循環し、また始まった。
一番好きなキャラクター:空条徐倫


第七部 スティールボールラン
地獄にいる人間に光を見せるものは何だろう?それは間違いなくチャンスだ。「立ち上がる物語」であるこの第七部の始まりは、ジョニィを始めとする全ての人間に与えられた、スティールボールランというチャンスだったのである。
スティールボールランは群像劇だ。あらゆる人がどこか自分を良い方向へ連れていってくれるに違いないと信じて「遺体」を追う。その目的は一人一人違う。そして誰もが、「次に進む」ために戦うのだ。
マイナスにいる自分がゼロに戻るため、つまり人生をやりなおすために、主人公ジョニィはレースに命を懸ける。もう一人の主人公であるジャイロも、自分の仕事に納得して次に進むべく、首位争いにかじりつく。生活を守ろうとしたサンドマン、救いを求めたホット・パンツ、過去の自分を振り切ろうとするディエゴ、それぞれがそれぞれのやり方で、自分の人生を次の場所へ持っていく戦いに身を投じていった。
それに対し、第一部のジョナサンが立ち上がったのは、父を守るため、友人を止めるため、さらに世界を守るためである。ジョナサン自身のためではなく、守りたいもののために命を振り絞る。第一部だけではないかもしれない。今までのジョジョたちは、自分以外の何かや世界そのものを救うために戦ってきたのだ。
しかし、ジョニィは、自分自身を何よりも救ってやるために長い長い旅に出た。これは決してジョニィがダメ人間だとかそういう話ではない。物語自体が新しいステージに立ったということだ。悩みも苦しみも彼一人のものだった。ジョジョの物語は、彼の青春と成長で再び幕を上げる。
一番好きなキャラクター:ジョニィ、ホット・パンツ