SEPPUKU Web

巣矢倫理子のブログです

自分を巡るカルチャーと身体 第三回[正しい倫理子→千晶2]

第一回はこちら

第二回はこちら

 

カルチャーと身体についての往復書簡、第三回目です。

ちょっと時間空いちゃって申し訳ない。ゼミ発表の準備に追われてました。学生の本分という感じがしますね。勉強は大好きだけど、時間がかかることはそれだけで大変だ。

 

 

ではさっそくお手紙です。

 

千晶ちゃんへ

 

前回はびっくりするほど面白い手紙が信じられない速さで送られてきたので、本当にわくわくしました。ありがとう。

こういう、私が言い出した企画に友達がちゃんとやる気出して乗ってくれる、という経験が本当に今まで乏しかったので、すごく嬉しいです。

 

前回はエロの話だった。今回もエロについて書いて、千晶ちゃんへのアンサーにしようと思ったのだが、いかんせんうまく言葉が出てこない。エロという言葉が指すものを私自身あまりはっきり認識していないせいだった。というわけでちょっとエロについて考えるのは先送りにして、話題をちょっと広く取る。「嗜好」そのものから、何か話せないだろうか?

さすがに生まれて20年経つと、何かしら好きなものができる。私は日本中世史を溺愛して、アニメに憧れて、BLを消費して生きている人間だ。けれど、好きな歴史上の人物と結婚したいわけではないし、アニメキャラになりたいわけでもないし、男性になって男性と結ばれたいわけでも、BLの受けに感情移入しているわけでもない。

この嗜好を簡単に抽象すると、「私のいない世界への強烈な憧れ」ということになるのだろう。

 

「私のいない世界」でだけ、私は自由である。

なぜそうなってしまったのか、自分でもよくわからないけれど、私が私自身を許していないからなのかもしれない。

 

人は身体を通じて何かを感じている。生きている限り、身体を使って絶えず情報の送受信が行われ、それは身体を削ったり隙間を埋めたりを繰り返してきた。

千晶ちゃんは、機械も身体だと言っていたよね。それはある意味で深く同意できる。というのも、機械が性的なのは、機械というのが、人間の代わりに情報の送受信をしてくれるようになったからなのではないか、と思うからだ。

たとえばメールでやりとりをするとき、そのメールを送ったのはどこかのパソコンの前に座った誰かであって、私とコミュニケーションをしているのは、建前上はその誰かさんであるはずだ。けれど私がそのメールを読んで返事を打つとき、私が向き合っているのは人間ではなくパソコンの無機質な体である。

インターネットがなかった頃、日々の生活において、コミュニケーションの送受信には必ず人間の身体が関わっていた。手紙なら相手が触った紙や相手の手書きの文字が伴っていたし、電話は相手の肉声やしゃべり方があって、情報そのもの以外の情報が揺らぎながら現れていたと思う。

今や、情報だけになった情報を打ち、それを送る事実について、送り主が人であることはあまり重視されていないのではないだろうか。そのぶんだけ、パソコンをはじめとした人間の代わりに働く機械たちが、身体めいてきた。

(千晶ちゃんが例にあげた両替機も、金を小銭にばらす、という行為において、人間の「相手」である)

機械が身体に近寄ったことで、身体も機械に近寄ることになった。やがて私の身体は置き換え可能になった。感受性の基盤となる身体が、相対的に価値を失い始めたのかもしれない。たぶん、身体を素直に憎むことが出来る世界が始まりつつある。

私のいない世界とは、自分が何かを感じるための身体が取り除かれた場所だ。その世界のコミュニケーション、すなわち情報の送受信の対象外にいることで、私の精神活動はすべて壁打ちと化す。身体で以て感じているわけではないから、世界の観客ですらない。その世界線のなかでは一番抑圧されていながら、私の現実のなかでは一番暴虐な振舞いができる。

 

……うまく説明できただろうか。抽象的すぎるかな。

で、例えばBLの場合。あまりBLとジェンダーを絡めて話すのは好きではないというかする意味を感じないんだけど、あえてちょっと普段感じていることを書く。

BL愛好者がBLを好む理由はたくさんある。設定が自由で話が面白いとか、単純に絵がきれいな作家さんが多い、あるいは現実のジェンダーバイアスに疲れて男女恋愛ものが許せなくなった……という人もいるだろう。

ただ、その中には一定数、「自分のいない世界」を求めている人がいるんじゃないかなと私は思っている。

はらだのBL漫画「私たちはバイプレーヤー」は、その明暗の複雑さを抉る名作だ。(読んでなければ下のリンク等参照してほしい。単行本「ネガ」に収録されてます)

 

BLにおける女性キャラは、そもそも出てこなかったり、執拗に顔を隠されていたり、あるいは腐女子であったりと、世界を邪魔しないものになるよう気遣われている。

そして、BLの中で、登場する女性が主人公たちと結ばれることはない。「男と男の恋愛」という筋書きがBLの「大きな物語」であって、それ以外の結末を得てしまったら、BLの文脈を逸れてしまうからだ。二人の男が愛し合う、という1つの事項さえあれば、あとは全てがオプションである。BLは女性に限りなく優しく、そして同時に残酷だ。

徹底的に女性を無視した世界を、ただのエンタメと見る人もいるだろうし、ジェンダーの抑圧から逃げ出せる場所だと思う人もいる。で、私にとっては、安心できる「私がいない世界」なわけだ。

 

前回、千晶ちゃんの自己紹介は、ごく複雑で興味深い自分の性のあり方について説明してくれていたけれど、私は自分の身体に向き合うことすら放棄しているので、自分のジェンダーについて言葉にしないようにしている。気取ってるとかバカっぽいと言われるかもしれないし、自分でもこれはパフォーマンスだと言われてもしょうがないのではないか、と思うことがあるけれど、今の所はそれで苦労していないので現状維持。

私はこれでも、少しずつ世の中の認識は便利なものへ変化していると思っている。身体に向き合わなくても生きていけるし、「向き合わない」ことを選択肢にできるのも、多分時代が変わりつつあるおかげだ。

世の中が生きやすいと思える日は多分来ない。身体はどこまでも追いかけてきて私を苛むし、だったら少しぐらい身体のことを忘れるための場所があったっていいと思う。


今回はこんな感じかな。

前回付け足してもらった、演じている間の自己の話、すごく興味深かった。相対化されてはじめてはっきり輪郭を持つことって意外によくあるみたいだ。

また近々ご飯でも行けるといいな。暑くなってきたから体調に気を付けて過ごしてください。

では。

倫理子より