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巣矢倫理子のブログです

映画「サウダーヂ」感想

※ラスト含めネタバレ満載ですのでご注意ください。

 

 小学生の頃、ルイス・サッカーの「穴」という小説が大好きだった。無実の罪でグリーン・レイク・キャンプという少年院に送られた主人公がえんえんと懲罰のために穴を掘り続ける話だ。死ぬほど好きだったはずなのにあとの展開は何も覚えていない。今読めばまた面白いのかもしれないけど、あの本は今手元にない。

 穴を掘ることが懲罰になるのは、穴の中で人間は孤独だからだ。自分は何をしているんだろうと思う。それでも掘れる限りは掘る。スコップを地面へ突き立てて土を掘り返してもまだ土がある。土があるなら、まだやることがある。

 

「地球のうらがわまで掘りまくれし!」

 これは映画「サウダーヂ」のキャッチコピーだ。「掘りまくれ!」ではなく「掘りまくれし!」。甲州弁である。映画のロゴを見ると、タイ語ポルトガル語で併記がされている。甲州弁、ポルトガル語タイ語、これらが飛び交う町・山梨県甲府が、物語の舞台となる。

この映画が、とにかく、今まで見た映画の中で一番面白かったので、今日はその話がしたい。

 

 あまり関係ない話、というか私の体感でしかないのだが、「何でもいいから何かが起これば自分の現状が打破されるのではないか」というほの暗い期待のようなものが、今の社会にはなんとなく存在していると思う。生前退位で改元するんじゃないかとかゴジラで東京がめちゃくちゃになるとか、少なくとも私はそういう風景を見て高揚したし、自分の日常が打破されることに恐れと期待が同居している自覚があった。

多分その「日常の打破」が、一番最近/一番嫌な形で発現したのが東日本大震災なんだと思う。震災があったのは、サウダーヂ公開から少し前の、2011年3月11日である。

そこから5年経って、また社会が嫌な方向にぐいぐい進んでいくのを見ている今、私が自分自身についてずっと考えているのも、偶然じゃないはずだ。私もまた、穴を掘っている。穴という巨大な空洞。

 

 「サウダーヂ」は群像劇で、主にスポットライトが当てられるのは土方の青年たちだ。パチンコ中毒の親と精神異常をきたした弟を抱えながら、HIP-HOPクルー「アーミービレッジ」の一員としてラッパーをやりつつ土方の仕事を始める青年・猛と、子供を望む妻をあしらいながら先の見えない暮らしを続ける土方の精司。そこに、ヒッピーぶって「ラブ&ピース」を広げたいと話す猛の元カノ・まひるや、ブラジル移民の一家に生まれて山梨でラップをしている青年・デニス、家族のために故郷のタイを離れてパブで働くハーフの女性・ミャオらの暮らしが絡んでいく。

 

 そこに漂うのは閉塞感である。ヤクザと政治家と肉体労働者と移民が同居する田舎町を、家族や仕事を背負って毎日歩いていく。家路は変わらないし、帰宅すれば同じ人がいる。不安定な暮らしという一定のリズムの中で、猛にも精司にも「寄る辺」はなかった。彼らは精神の柱という部分に空洞を抱えている。その穴はいつのまにか掘られていた。何かが変わりはしないかと、みんな期待している。

寄る辺がない人々はどうやって生きていけばいいのだろう?

 

 映画の内容を全部説明することは難しいので、田我流演じる猛について、説明して考えてみたい。

猛は、自分の暮らし向きが良くないのは全て外国人移民のせいだと信じ、ちゃちな論理で右翼を気取っている若者である。「大和魂を見せてやる」と意気込んでブラジル人移民のHIP-HOPクルーと対決しようとするが、ブラジル人たちは特にアーミービレッジのことを見ていない。言葉が通じていないのだ。

元カノのまひるは、「わたしはず〜っと、味方だよ」と言い、猛に東京行きを勧めた。しかしそのあとに続く言葉は、「わたし気づいたの。世界に敵なんかいないって」というヒッピーの薄っぺらすぎる一般化された愛の言葉だ。まひるもまた、ちゃちな物語に酔うしかない行き場のない女性だった。

いくら止めてもパチンコが止められない両親。怪しい言葉をぶつぶつつぶやいている右翼かぶれの弟。ヤクザからの勧誘。

猛は外国人を憎んでいる。敵さえいなければきっと日常が打破され、是正されるのだと考えて、怒りを貯める。

 

 映画は猛の顛末で終幕する。

自分の外国人への怒りを理解してくれないアーミービレッジの仲間たちに失望した猛は、「東京で音楽業界関係者の知り合いを紹介する」と言ったまひるを最後の希望と信じて彼女を探す。しかし、まひるはブラジル人男性と親密な仲だという噂を耳にし、よく確認もせずに猛はその希望も捨てた。そしてナイフを持って街に出、ブラジル人青年のデニスを刺してしまうのだ。

デニスを刺したあと、猛はアーミービレッジの溜まり場へ戻ってきて、笑いながらデニスを刺したことを伝える。弟の面倒を見てやってくれ。たまにでいいから。昔遊んでただろ、本当にたまにでいいんだ、頼むよ。あっけにとられて黙ってしまった仲間たちにそう最後に告げると、おもむろに携帯電話を取り出して、彼は自首をした。

パトカーに押し込まれながら、最後、猛は手錠をかけられた手を掲げる。

ついさっきまで絶望していたはずの仲間に向かって、笑顔で。

 

 こんなにキツイものが他にあるだろうか?

 この映画はほとんど全てがディスコミュニケーションでできている。全員が孤独な穴の中で土を掘りながらうめき声をあげる。声は聞こえても何を叫んでいるのかは分からない。点と点がずっと繋がらない。

ここではないどこかを夢想し、自分でない誰かを勝手に望み、ろくに話したことのない誰かを敵視する人々が、どうしようもなく辛い。そこまでどん底に落ちて全部が嫌になっても、まだ人を求めている!

猛が事件を起こしてもアーミービレッジの仲間に対してずっと笑顔でいるのは、刺したことがおかしかったからでも、楽しんで笑っているわけでもないのだ。ただ、赤ん坊が母親にするように、自分が笑えば相手も笑ってくれるんじゃないかと、誰かに好意を返して欲しい一心で笑うのだ。

猛は決して悪い人ではなかった。弟の支離滅裂な話を否定せずに聞いてやったし、親のパチンコ通いも必死に止めようとしたし、ヤクザになるのもダメなことだとちゃんとわかっていたのだ。最後だって、弟のことをよろしくと頼んで自首をした。それでも、彼を駆り立てるものは彼の凶行を止められなかった。

 

 どうして人間は人間の群れでなければ生きていけないんだろう。群れでないと生きられない生き物にするなら、なぜつらいことをつらいと感じる機能がついているのだろう。なんでこんなに愚かなんだろう。なんでこんなに辛くても死ぬのは怖いんだろう。なんでまだ人と話したいと思うんだろう?

 

 分からない。正解はない。これを極めて冷徹な俯瞰の目線で撮り切ったことが、もう、事件の域である。

 

 「地球のうらがわまで掘りまくれし!」

地球の裏まで掘ればブラジルにつながってるよ、ちょっと曲がったらタイだよ、こんなに簡単なんだ。

麻薬を吸いながら男がそう語る。今その瞬間に隣に住んでいるブラジル人やタイ人とはつながれないままなのに、穴を掘ったその先の新天地を夢想している。

 掘るしかないのだ。

 

 

 

以上が支離滅裂ながら私の「サウダーヂ」の感想である。語りきれない名シーンも、素晴らしい映像も、ここではお伝えしきれていない。私が書いたことはあくまでも作品のごくごく一部にすぎないことを明記しておく。

DVDになっていない作品なので、ぜひ機会があれば逃さずに足を運んで欲しい。