SEPPUKU Web

巣矢倫理子のブログです

私とおじさん

f:id:rinrikoweb:20161108154538j:image

 仲のいいおじさんがいる。

おじさんと呼んでいるが、実際は高校時代の英語の先生だ。普通なら先生と呼ぶべきなんだろうが、私はおじさんをおじさんと呼ぶし、敬語も使わない。

おじさんはすごく不思議な人で、言語学者である。14世紀のラテン語とか、中世のフランス語とか、私にはよく分からない言葉にいつも夢中だ。勉強が好きすぎるあまり、逆に論文を一文字も書かずに大学院を中退したという過去を持つ。お金には微塵も興味を示さない人で、いつも私たちに美味しい食事をおごってくれる。どうしておごってくれるの?と尋ねたら、「自分が学生の頃は教授におごられていたから」と言っていた。でもそれは建前なんだろう。本音としては、ただ本当にみんなでご飯を食べるのが好きなのだ。テーブルの上を料理でいっぱいにして、みんなでおしゃべりするのが好きなのだ。

 

 私はずっと学校が嫌いだった。今も中高の先生に対してお世話になったとは思っていない。すごく嫌なことがたくさんあったし、それは私が悪いとか相手が悪いとかではなくて、時期と役割の問題だったんだと思う。先生というものがすごく苦手だった。目の前に先生が立っているだけで責められている気がして、勝手に涙が出てきてしまう。おかげで授業について質問しに行ったことは一度もない。

 そんな中で、おじさんとだけは普通に話すことができた。おじさんは先生というよりおじさんだったからだ。

 

おじさんは私の所属していた軽音楽部の顧問をやっていた。顧問といっても、たまにふらっと遊びに来て「うるさいからやだ」「バンドよりオーケストラがいい」などと不条理なことをつぶやいて出て行くだけの存在だった。変に説教くさいことは全く言わないところがすごく楽だった。おじさんはいい意味で自分のしたいことにしか興味がない。普通先生というものは教え子の近況を勉強とか打ち込んでいることで聞きたがるのではないかと思うのだが、私が夢中になっている中世史の話をしても「日本史興味ない」と言われる。そして本当にまじめに聞いてくれず、私の話の言葉尻から連想したラテン語をぼそぼそつぶやいて揚げ足をとる。「それどういう意味?」と聞くと語源から全部説明してくれるが、おじさんの説明の中で覚えている話は一個もない。私も自分がしたいことにしか興味がないからである。

 

私とおじさんはすごく似ていた。

好きなことしかしたくなくて、集団が苦手で、でも人と話すことは好きだった。

 

 

 「早く死にたいなあ。来年の誕生日に死にたい」

鎌倉のお寺で、庭を眺めながらおじさんがそう言った。おじさんでもそう思うんだなと思った。

おじさんには長生きして欲しかったが、おじさん相手にまじめな返事をするのも変だったので素直に答えた。

「いいなあ、私も60ぐらいで死にたい」

今の日本で長生きしたいとはあまり思わないし、それは本心だ。ただ、私は自分が納得するまで教養が欲しいと思っていて、賢くなるまで死ねない、とも思っていた。(これをおじさんに言ったら、絶対「じゃあ一生死ねないじゃん」とか言われる、絶対そう)

そしておじさんは続ける。

「でもさあ、この間フランス語の新しい辞書を買ったんだよ。それを使って新しい本を読みたくて……死ぬと本読めないし……」

 そういうところまで私とおじさんは似ているので、笑える。