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仕事まとめ・考えていることなど

「腐向け過ぎて萎える」とは何か

「ユーリ!!!オンアイス」について考えている。

今期の覇権と呼んでも差し支えない盛り上がりを見せる今作は、男子フィギュアスケートを題材とし、男性の肉体を徹底的に性的に描いたアニメーションだ。スランプに陥ったフィギュアスケーターが憧れのトップスケーターの導きでグランプリファイナルを目指す、という少年漫画的な性格のストーリーを持つ一方で、登場する男性キャラクターは「感情移入の対象」ではなく「性的消費の対象」として描写されているようにうかがえる。

少年漫画的な筋書きなど、エロ以外の「物語」を備えながら本質的には「性的消費」(特にBL的消費、そして夢ジャンルとしての消費など、いわゆる「女性向け」市場を想定した消費)を待っている作品を、仮に「擬態作品」と呼んでおこう。(擬態の度合いには作品によってばらつきがあり、もちろん判断の微妙な作品もある。)「ユーリ!!!オンアイス」はまさにこれだった。もちろんスポーツを通じて高みへ登る挑戦をする主人公の姿を見て励まされる人がいる、というのも事実であろう。しかしそれと同時に、勇利とヴィクトルが抱き合い、「俺を誘惑しろ」「僕だけを見ていて」と囁きあい、氷の上で恍惚の表情を浮かべるというあからさまに性的なボーイズラブ・アピールは、明らかに画面の向こうで興奮するオーディエンスの姿を想定した上での描写だ。すなわち、そもそも「腐向け」的消費がなされるために計算されているのである。

 

腐女子腐女子向けに作られたものを喜べない」という言説は広く知られている。主語を「腐女子」とすると大きすぎるが、一部のBL愛好者がBL文脈での性的消費を想定した描写に対して抵抗感を持っているのは確かだ。現在ツイッターで「ユーリ 萎える」などで検索すると、「公式が狙いすぎていて萎える」などの苦言が多く見受けられる。(その一方で「公式 狙いすぎ」で検索すると、あからさまな腐向け描写を歓迎するつぶやきが多く見られるので、あくまでこれは「一部」のクラスタの感性なのだ)

それはなぜなのか? なぜBL消費者の一部は「ターゲットとして想定される」と「萎える」のだろうか?

 

BL消費者の大部分を占める存在=腐女子の中には、自分が存在しない世界を希求している人がいる。

もともと、なぜ男同士の恋愛を女性が消費するのか、という問題があるが、無限にある理由のうちの一つとして、「自分が存在しえない世界でなければ安心して恋愛/エロコンテンツを楽しめない」というものがある。(私はそれにあてはまる腐女子であり、逆に言うと、自分と恋愛/エロコンテンツの直結さえなければ、かなり奔放に欲望をさらけ出せると自覚している。)

女性とエロコンテンツとの距離感には数多くの社会的な問題があると言っていいだろう。私は専門家ではないので細かい論証はできないが、男性と比べると女性がエロについて語ることは圧倒的に「許されていない」。

BLはそれを救う存在だ。あの性的ファンタジーの文脈の中では、男と男が愛し合ってセックスをするとき、私たちはどこにもいない。全ては男と男のための記号に成り下がる。BL漫画というジャンルにおいては、多くの場合、読者の身体と直結させることで感情移入できるよう「設計された」キャラクターが主人公になることはないのである。*1 

 

すなわち、BLを読むとき自らの視点をどこに設定するかは、読者の裁量に委ねられているのだ。自己を自己の身体から際限なく拡張して攻めあるいは受けに感情移入するという人もいるだろうし、背景に書き込まれたモブや二人の男が寄りかかる壁に感情移入する人もいるし、神の視点で完全に人界から己をシャットアウトする人もいる。

BL作品に没入するBL消費者は、「自分」を好きな濃度で希釈できるのだ。

 

話を戻してみよう。

結論から言うと、「腐向け」を「狙ってる」ことが「萎え」につながる傾向を持つBL消費者にとっては、明らかな擬態作品は「自分のいない世界」にならないのだ。

つまり、「BL消費者からの目線」を想定している限り、作品の中にBL消費者からの目線が組み込まれていることになる。その時点で、「自分」=「BL消費者」は作品世界の中にメタ的に存在していることになり、「自分のいない世界」の完璧な成立が不可能になるのである。

(完全に関係はありませんが、「観測されると振る舞いを変える」という意味では一部の腐女子に近いものを感じるので、量子力学の記事を置いておきます)

 

作品に想定されることを避ける人がいる一方で、もちろん男性がエロティックに描かれることを性的消費が許されているサインのように思う人がいるのも確かだろうし、考え方は千差万別だ。つまり、ユーリオンアイスのような性的消費への意識が非常に強い作品においては、人によっては作品世界へのアプローチを行うことが非常に難しい場合があるのである。「自分のいる世界」に対して二次創作の必要性を感じなかったり(私はここに入る)、あるいは「萎える」という言葉で作品世界に組み込まれることから抵抗したりするのは、そういう理由なのではないだろうか。

 

これは私が私自身について考えて考察した結果なので、客観性に欠くだろう。女性と恋愛/エロコンテンツの距離感や意図的な複雑化は非常に興味深いものだと思う。そういうことにも目を向けながら、ひとまずこれからのユーリオンアイスを楽しみにしていきたい。

 

 

*1:アンソロジー「女子BL」など、それを逆手に取った作品は少なからず存在する