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SEPPUKU Web

巣矢倫理子のブログです

プリパラ劇中歌レビュー(2) 私は私の道を行く

 

rinriko-web.hatenablog.com

  前回(といっても1年半前)に書いた記事がわりと好評であることに今更気付かされたため、続きを執筆してみようという気になった。

プリパラの劇中歌のクオリティは一期から極めて高いものだったが、前回から1年半の時を経て素晴らしい楽曲がさらに多数生まれてきている。今回もいかにプリパラの世界を彩るアイドルソングがウェルメイドなものか、紹介していきたい。

 

 

ドロシー&レオナ・ウェスト「Twin mirror♥compact」

 歌詞はこちら

 前回の記事でも述べた通り、一人称が「僕」の女の子・ドロシーと、一人称が「私」の女装少年・レオナは、ドレッシングパフェで活動する極めて仲のいい双子である。一期では「僕とレオナは二人で一人だから」と言ってらぁらとみれぃのチームに入ろうとするなど、お互いをお互いの半身と見なしてきたことが分かる。

そんな二人にも、転機が訪れた。二期の終盤、レオナは紫京院ひびき率いる天才チームへの誘いを受け、ドロシーと初めて異なるグループに属することを自ら選んだのだ。

今まで何でも一緒にやってきて、何でも共有してきた双子が、ついに違う場所に立つ。その痛みは我々には想像もつかないほど大きく、衝撃的だったことだろう。そのため、二人はどうしても儀式を必要とした。それがこの「Twin mirror♥compact」だったのである。

Twin mirror♥compact ハートとハートがchu!

少し怖いけどバイバイ(見つめてバイバイ)

Twin mirror 覗き込んで 涙の跡ふいて

離れていたって『LO♥VE』繋がる!

twin mirror 開いたら 勇気を交換こ

あのね気持ちは一緒さ(だから大丈夫)

一人になるのは 悲しいことじゃない

おニューな二人で また はしゃごう! 

  鏡のついたコンパクトは、開けば二枚貝のように片方ずつが違うものを映す。しかし結局は一つのコンパクトなのだ。お互い違う場所で涙の跡を映したとしても、鏡の向こうでは愛で繋がっている。

 双子は離れたことがなかった。だからこそ、「離れていても繋がっている」ことをお互い再確認しなければならなかったのだ。そしてそれは、二人にとってまたとない飛躍の機会でもあった。

似てるようで似てないheart 鏡に映す未来

ほらね 僕は僕 私は私で

 この歌詞を歌った時、ドロシーとレオナは「二人で一人」だっただろうか。きっと違う。お互いがもっと素晴らしいアイドルになるために、むしろ「一人が二人」になったのだ。意図的に同じものとして生きてきた二人は、それを一度やめ、「僕は僕」「私は私」として「似てるようで似てない」 ことを言葉にした。すさまじい勇気だと思う。でもその別れの痛みは成長痛だ。再び同じ場所へ戻ってきた時のドロシーとレオナは、傷だらけの強靭な身体で、世界一軽やかに踊る。

 

 

ちゃん子「Just My Chance Call」

 歌詞のリンクを貼りたいのだが、この音源は昨年春の映画のDVD特典として収録されており、歌詞サイトに掲載がない。残念だが各自DVDを買うなり借りるなりで鑑賞してほしい。

そういう歌詞のリンクを貼れない曲でありながらここで紹介せざるを得なかったのは、この曲がそれだけ伝説的だからである。曲を歌う「ちゃん子」は、その名の通りの女の子だ。今の美醜の基準で言うなら、いわゆる「アイドルにはなれない」容姿の持ち主である。実際作中では、クールで天才肌のキャラクター・そふぃの親衛隊として登場している。

しかし、しかしだ。プリパラの合言葉は「み〜んなトモダチ! み〜んなアイドル!!」なのである。みんなアイドルなのだ。そう、ちゃん子はアイドルだった。誰にも似ていない、誰も真似できない圧巻のパフォーマンスを携えて、ステージに上がる。ラストのサビを引用しよう。

Nobody beats the me! 譲れないのは glamorousなChance call!

Fight Back 弱気 教えてあげる 誰が最強か

死ぬ気でかかってこい

勝つ気でかかってこい

暴れて! 私の愛! Come on!!

 この曲が披露されたのは、映画でアメリカの地下ファイトクラブに送られてしまったそふぃ親衛隊の面々が、「勝ち抜かなければ一生ここから出られない」と言われ、全員の命運が託されたちゃん子が女レスラーとの戦いに挑む……という、女児アニメにしてはハードコアすぎる展開の最中であった。

 サビだけで雑魚はふっとびそうな圧倒的パワーがある。なんたって「教えてあげる 誰が最強か」「死ぬ気でかかってこい 勝つ気でかかってこい」が連続して突きつけられるのだ。そこにあるのは力と力のぶつかり合いだが、同時にそれは暴れだしたら止まらない「私の愛」であり、その「愛」とはまぎれもなくアイドルのアイなのだ。

 そして「Nobody beats the me!」である。ただのmeではない。「the me」なのだ。唯一無二の私を生きる、こんなこと私にしかできない、他のヒョロいアイドルどもとは一味ちげえんだ。そういう気概が、たった一単語でビンビンに伝わって来る。

 「太っている」ことは「美しくない」と、誰が決めたのだろうか? そんなものは単なる文化の刷り込みだ。だってちゃん子はこんなにも美しい。仲間のために敵を粉砕し、勝利のリズムで四股を踏みながらグラマラスに踊り続ける、彼女ほどかっこいいアイドルはいない。プリパラは、あらゆる価値観を受け入れるのと同時に、たくさんの新しい美を生み出す場所なのである。それがきっと、今日も誰かを救っているはずだ。

 

UCCHARI BIG-BANGS「愛ドルを取り戻せ!」

 歌詞はこちら

三期最大の衝撃であった、うっちゃりビッグバンズの新曲である。アイドルのアイは、つまり愛なのだ。うっちゃりとは土俵際から巻き返す相撲の逆転技のことで、まさに神アイドルグランプリの敗者復活枠からよじのぼってきた気概が込められている。

まずメンバーが濃い。前述のちゃん子に加え、エキセントリックな天才デザイナー・北条コスモと、コスモの学生時代からの親友にしてプリパラ一はみ出た魅力を持つ美術教師・黄木あじみがチームになったのだ。この三人からドロップされたのがメタルだなんて、聞く前にお腹いっぱいである。

歌詞は極めて感覚的だ。韻を織り交ぜながら語呂合わせと勢いで語られる力強いサビの中に、あじみの際限ない美術ダジャレが振りかけられる。その中で語られるのは、「私は私」という意思なのだ。

翼の折れたヒロインたち

傷だらけのHeart & soul

それでも空を目指すんでしょ

誰にも似てない自分だけの青空

時代の風を揺らすんなら

不毛の大地に 咲かせようよアイデンティティ

  普通とはなんだろう。きっとそんな価値基準に意味はない。うっちゃりビッグバンズが目指すのはいつだってオリジナルだ。「誰にも似てない自分だけの青空」は、分厚い雲を自ら切り開いた先にある。

 だからこそ三人は世紀末の空へ飛翔するメイキングドラマを作ったのだろう。時代の風が自分たちと違う色をしていて、その流れがめちゃくちゃ強かったとしても、それをぶち抜いて揺らして個性を開花させる。アイドルになるために、愛以外何も必要ではない。土俵際はむしろチャンス。うっちゃりで世界が変わるなら、うっちゃりするしかないのだ。

  

 

北条そふぃ「Red Flash Revolution」

歌詞はこちら

映画「プリパラ み~~んなでかがやけ!キラリンスターライブ」でお披露目になった北条そふぃのソロ曲である。

この映画と北条そふぃというアイドルについて考えるとき、ひとつの騒動について触れねばならない。それは二期のエンディング曲「胸キュンラブソング」のとあるカットについて、BPO放送倫理・番組向上機構)から批判が寄せられたことである。その「とあるカット」こそ、そふぃが肩ひものはだけたランジェリーのようなワンピースをまとった絵だった。

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批判が来たのち、そのカットはなんとオーバーオールの肩ひもをはだけた漁師ルックのそふぃに差し替えられた。「肩ひもがはだけている」ことを批判されたので、逆にそこだけは貫き通したプリパラの「抵抗」は、極めて鮮烈に映った。

これは公式になんのソースもないので「私はそう受け取った」というだけの話だが、おそらくプリパラ製作サイドはこの事件について相当根に持っているのだと思う。確信に至ったのは、映画でそふぃが背中や腹がばっくりと開いた極めてセクシーなドレス姿を披露したことだ。ステージで踊るときには違う衣装に着替えるのに、わざわざステージに登場するシーンで挑発的なまでにセクシーなドレスをまとうというのは、明らかに地上波でやって批判されたことを映画館でやり返してやる、という強い反抗心だった。(さらに映画では白い下着風のワンピースを着たちゃん子がセクシーに椅子にもたれるシーンが挿入される。これもまた「性」を遠ざける人々への挑戦なのだと思う)

前置きが長くなった。妖艶な姿で現れたそふぃが歌い出すのがこちらの「Red flash revolution」である。音楽的なことは正直あまりわからないのだが、曲調はキューティーハニーのテーマ曲を思い出させる。そう、キューティーハニーと言えばセクシーな女の子が戦う古典的人気作品だ。プリパラはそふぃという美神を通じ、セクシーであることもまた女の子が選べる楽しい選択肢なのだと主張しているのではないか。

救ってあげるわ! 解放しちゃえ!

さあ、鳥籠なんてbreak out  革命のRed Flash

最後のこの一節には、プリパラという仕組みが何気ない顔で抱える巨大な許しが現れている気がしてならない。プリパラではなりたい姿になっていい。求めるものに手を伸ばすことが許されている。元々アイドル像に縛られてきたそふぃが、今度はせせこましい価値観に囚われる「小鳥ちゃんたち」を救うのだ。そういうプリパラの強さを見せつける、系譜を感じる一曲である。

 

南みれぃ「TRIal Heart~恋の違反チケット~」

歌詞はこちら

この曲は「南みれぃ」「弁護士みれぃ」「検事みれぃ」の三つに分岐したみれぃが歌唱するミュージカルめいたロックチューンだ。パラレルワールドでどうやら恋に落ちたらしい南みれぃをめぐり、二人の法の番人=みれぃが裁判で争う。アイドルに恋愛は許されるのか? 気持ちに嘘をつくのはよくないわ!と微笑む弁護士みれぃ、その主張には根拠がない!と畳み掛ける検事みれぃ。ライブシーンでは三人のみれぃが歌い踊る極めて不思議な光景が繰り広げられる。

ぶりっ子と呼ばれる質の人が嫌われるように、コミュニケーションに関しては「一元的であること」が重視される場合が多い。素直だとか腹を割って話すとか、「本物の自分を見せる」ということがそのまま相手への信頼を意味する状況は頻繁にやってくる。

 みれぃの分裂をめぐるストーリーには、一期の名エピソード「ぷりのままで」が極めて重要だ。アイドルとしてのみれぃは本当の自分ではないのではないか?と惑うみれぃは、最終的に「どちらも私なのだ」という結論を見つけることになる。

そう、全てみれぃなのだ。みれぃでいいのだ。彼女の心のやわい部分を暖かく認めて想いを遂げさせようとする弁護士みれぃも、ルールを守ることに至上の価値を認めて厳しく自律を迫る検事みれぃも、どちらもみれぃなのである。彼女は将来何になるのかまだ決めかねているし、異なる姿を行き来する。その揺らぎは素敵でポップで限りなく魅力的だ。ぶりっ子だとか本心じゃないとか、他人が想定する「本物」などに価値はない。

 

トリコロール「Neo Dimension GO!!」

歌詞はこちら

この曲を初めて劇場で聴いた時、度胆を抜かれた。トリコロールが「完成」してしまった、と思い、打ち震えたのである。

トリコロールのデビュー曲である「Mon Chou Chou」は確かに名曲であるが、時期の焦りやメイキングドラマの強引さも含め、トリコロールとしての「お披露目」であり「自己紹介」としての側面が大きかったように思う。それぞれの良いところを持ち寄って、自分たちを説明するイントロダクションだった。

ところが、Neo Dimension GO!!のトリコロールは、巡り合った劇場を完璧に支配してみせる「真骨頂」であり、まさに今までより次元が一つ上なのである。

その名はプリパイレーツ号 星より輝くBODY

唯一無二の海賊船 荒波を蹴散らし

遥か彼方 伸びるトリコロールライン

自由に生きるのが使命よ

NEO DIMENSION 生んで 広げて 進めGO!!

Neo Dimension GO!!は、並行宇宙のひびき・ファルル・ふわりが宇宙海賊の気概をダイナミックなハーモニーで歌い上げる一曲だ。思えばこの三人の関係は奇妙なものだった。トラウマを抱えながら自らのエゴでふわりを選びふわりを捨て、ファルルに憧れて肉体も捨てようとしたひびき、ひびきとの関係に苦しみながらもひびきを愛し抜き、強引な手段を使ってでもひびきが自分の触れられない領域へ去ろうとすることを阻止したふわり、そして二人の想いを暴力的なまでに受けながら微笑み続けるファルル。「嘘」と「本当」でねっとりと絡みついたこの三人がチームになれるとは、正直思わなかった。それでも三人は、愛によって三人でステージに立つことを選ぶに至った。

Mon Chou Chouでも繰り返し現れる言葉だが、もうこの三人に嘘も本当も関係ない。大事なのはトリコロールが「唯一無二」であることだけだ。過去に囚われるために使える時間などもはやない。全てを噛み締め、乗り越えながら、情熱のままに求めるものを追いかける自由さを手にいれたトリコロールの、最も完成された演劇。それがNeo Dimension GO!!なのだ。上演場所はこの世で最も広い場所がふさわしい。やはり、宇宙である。

 

 

今回はここまでで筆を置くことにする。現在シリーズ4期となる「アイドルタイムプリパラ」が放映中だが、個人的にはドレッシングパフェの新曲を心待ちにしている。この先もプリパラというコンテンツへ全面的な信頼を寄せ、追いかけていきたい所存だ。