親友の結婚式で何を語るか:「死ぬまで一緒に遊ぶ」可能性について


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 最近、親友への愛をどうしていいかわからず困っている、というメッセージを立て続けに頂きました。

 一枚め(仮にAさんとします)の場合は、しょっちゅう会うわけではないけれどとても大事に思っている友達(確か以前の質問箱ではそう書いていらっしゃいましたよね?)が結婚するかもしれないと聞いて新郎への恨みに浸かっておられる方、二枚め(Bさんとします)の場合は親友への独占欲が重い自覚があり関係が変わってしまうのではないかと心配されている方です。

  この二つのご相談に関して「親友への愛」問題を考えたあと、個別のご相談について書いてみようと思います。

 ※4月25日夜10時 追記

 

死ぬまで一緒に遊びたい

 結婚とは何でしょう?

 簡単に言えば「家族になるための誓約」なのでしょう。近代家族制度においては一夫一妻で家族になって子供を作る、そういうモデルが想定されています。社会の中の「結婚」には、性愛関係にあるヘテロの「男」と「女」がするもの、というイメージが強くあると思います。

 

 この調査によると、「家族・友達・恋人・仕事・趣味のうちどれが一番大事か」という質問に、65%の人が「家族」と答えているそうです。二位以降は趣味、恋人、仕事、友達と続きます。友達が一番大事だと言う人は、家族が大事だと言う人の13分の1以下です。三位の恋人との違いを見ても、やはり「家族」と「いずれ家族になるかもしれない関係」は、友愛よりよっぽど重要視される傾向にあるのではないかと思います。

もっと大胆に言うなら、

友達<(越えられない壁)<家族

今の世の中にはこういう式が成り立つと言えるかもしれません。

 

 

お前が結婚したら死ぬ」……私が実際に親友から言われた言葉です。親友へのヘビーな感情という私の今までの人生のなかでもかなり巨大なテーマを語るにあたり、どうしてもわが親友の話をせざるを得ません。ここでは仮に地獄太郎と読んでおきます。ちょっと具体的な話も書いてしまうけど地獄太郎は許してくれるかな……まあ多分大丈夫だと思います。

 私は地獄太郎がいなかったらここまで生きてこれませんでした。かれこれ10年の付き合いになりますが、辛いときはいつも「私にはあの子がいるから大丈夫だ」と言い聞かせて乗り切ってきました。楽しいときや美味しいものを食べたときには地獄太郎を連れてもう一度ここに来たいといつも考えます。迷惑もお互いに相当かけましたが、何があっても関係が揺らがないことをお互いに分かっています。

 地獄太郎が「お前が結婚したら死ぬ」と言うのは、お互いがお互いの一番であるという優先順位の崩壊が嫌だからだと思います。私も地獄太郎が結婚したら同じ理由で死ぬかもしれませんし、何より先に死なれるのが一番嫌なので結婚するつもりは一切ありません。そこまでいってもなお、地獄太郎と私は結婚という制度に脅かされているという感覚が捨てきれません。「なかよしのともだち」というだけでは、社会的な単位として認められないからです。「男女のつがいだけが家族で、一番優先されるべき仕組みである」という無言のプレッシャーは確実に存在します。男女の友達ならつがいの形式を選ぶこともできるでしょうが、同性の友達相手ではそれも困難です。どこまでいっても「未婚者」=「いまだに結婚してない人」としか認識されないであろうことは、容易に想像できます。「家族」を持つことは、その人個人の社会的な信用につながっているのです。

 どうして男女のつがいを軸にした「家族」ばかりが特別なのてしょう? 恋愛・性愛の相手をそのまま生活の運営をともにする相手として選択できる人の方が私には不思議です。私は誰かと一緒に生活するなら、友達と死ぬまで遊んで暮らしたい。仕事が終わらないと言って地獄太郎に泣きついたり、喉が乾いたら地獄太郎のぶんまでお茶を淹れたりしたいのです。最後まで地獄太郎と微妙につまらない映画を一緒に見てごちゃごちゃ議論を交わしたいのです。

 誰が誰とどういう関係で暮らしていても(もちろん誰も選ばなくても)、同意があるなら誰からも何も言われず、「普通」のこととして扱われる。そういう生活を当たり前のように選べる世の中にしたいといつも考えます。あるいは社会保障などの制度面が「家族」ではなく「個人」ごとにはっきり切り離されて整備されれば、あるいは姓を自由に選べれば……。近代家族制度を解体し、排除されてきた「社会的には名前のない関係」が人生のカジュアルな選択肢に入ってきたなら、実は名前のある関係を生きている人もふくめて、今より息がしやすい未来が来るのではないでしょうか。(了)

 

 

 

 

 

個別のご相談について

Aさん

お疲れさまです。

「幼馴染みが幸せならあとはどうでもいい」のに新郎には恨みが募るというのは、やっぱり「親友では彼女を『幸せ』にできない」という悔しさがあるのではないかなと思いました。男女のつがいばかりが特権化されている状況が打開されれば、きっと親友という地位の価値が相対的に下がったように感じることもないのではないかと思います。しかしその道のりは極めて遠いし、「家族」に疑念を持つ身であっても「家族」を特権化する社会の風潮を内面化せずに生きることは難しいですよね。おかしいと思っていてもあらがえない、まさに「どうすればええんや」としか言いようのない状況なのでしょう。

それでも、「親友は親友で、唯一無二の存在なんだ」ということをあなたの方から信じて、そして幼馴染の方に伝えてもいいのではないでしょうか。もしかしたら、幼馴染の方の方こそ「自分が結婚することを気にして遠慮しているかもしれない」と心配しているかもしれません。まだ何も決まっていないとのことですが、自分はあなたのことを唯一無二の大切な友達だと思っていることを、式のスピーチでも個人的な手紙でもよいので素直に伝えてしまえばいいと思います。真摯に書けばきっと大丈夫です。

 

Bさん

「これは自然なことか」……これ、気にしなくていいです。自然か不自然かはどうでもいいと思います。「自然か不自然か」は「普通か異常か」につながるし、これで自分の中で「異常」判定になってしまったら、そのまま自罰的な態度をとり続けるしか無くなってしまうからです。そう感じたならひとまずそれでいいのです。

親友への愛が相手にとって邪魔なのではないかと心配されているようですが、これに関しては対話しかないと思います。相手が嫌だと思うことをしないためには、相手が何を嫌がるのか聞かないといけません。「きみほど最高の友達はいない、ずっと遊んでいたい」など、やんわり伝えて反応を探ってみてはどうでしょう。めんどくさそうにされたらその独占欲はちょっと小出しにしないとまずいかもしれないですね……。一番最悪なのは縁を切られることなので、とにかく相手の嫌がることをしない、これが第一です。それはそれとして素直に愛を伝えるのは大事なので、粘り強く相手に寄り添い続けてみては。

 

 

4月25日:追記


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 Aさんからお返事が来ました。

恋愛だったらむしろわかりやすかったという感覚、とてもわかります。社会的に名前がない関係には落としどころがないですもんね。見たい映画があったら真っ先に誘われるのは私じゃなくて彼氏の方なんだとか、「今までと変わらないよ」という体裁で距離が開くのはとても悲しいです。かっこつけずに全部伝えるご決断、とても素晴らしいと思います。悲しい気持ちや絶望の地点でストップせずに対話する!結局それしかない気がします!頑張ってやっていきましょう!丁寧なお返事、ありがとうございました!